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巨勢比良夫
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経歴
『日本書紀』によると、用明天皇2年(587年)、大臣の蘇我馬子は諸皇子と群臣との連合軍という形で、大連の物部守屋を滅ぼそうとした。その際に、巨勢氏の代表者として、皇族、馬子、紀男麻呂の次に名を連ねている[1]。これ以外の事績は伝わっていない。
『書記』の異本によると、崇峻天皇4年(591年)11月、任那復興のための遠征軍の大将軍として、紀男麻呂・大伴囓・葛城烏奈良らとともに大将軍に任じられ、筑紫国に派遣されたともあるが、これは一族の巨勢猿だとする記述の方が優勢である[2]。
脚注
参考文献
関連項目
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