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市原市立内田小学校
千葉県市原市にある小学校 ウィキペディアから
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市原市立内田小学校(いちはらしりつ うちだしょうがっこう)は、千葉県市原市島田にかつて存在した公立小学校[1]。文部科学省の学校コードはB112210004547、旧学校調査番号は121073[2]。通称は内小(うちしょう)。2021年(令和3年)3月31日をもって閉校した。
概要
市原市南部の南総地区に位置する[1]。明治時代に開校した歴史のある小学校であるが、児童数減少によって市原市立牛久小学校と統合し、2021年(令和3年)3月31日をもって閉校した[3]。
沿革
概歴
1873年(明治6年)に石川小学校、高砂小学校、堀越小学校、奥野小学校が開校する[1]。1887年(明治20年)に、これらの学校が統合して内田尋常小学校となった[1]。1914年(大正3年)に、新校舎が宿174番地8に完成する[1]。1941年(昭和16年)に国民学校令の交付により内田国民学校と改称した[1]。戦後の1947年(昭和22年)に学校教育法が施行されると、内田村立内田小学校となる[1]。1954年(昭和29年)には市町村合併によって南総町立内田小学校と改称した[1]。1965年(昭和40年)に、同年3月31日限りで閉校した南総町立内田中学校跡地に移転する[1]。1967年(昭和42年)には再びの市町村合併によって市原市立内田小学校となった[1]。2003年(平成15年)からは市全体の小中学校より3年早く2学期制を導入した[1]。その後は児童数減少が続き、ついに2021年(令和3年)3月31日をもって閉校となり、翌日より市原市立牛久小学校に編入となった[3]。
年表
- 1873年(明治6年) - 石川小学校、高砂小学校、堀越小学校、奥野小学校として開校[1]。
- 1887年(明治20年) - 内田尋常小学校に改称[1]。
- 1914年(大正3年)3月1日 - 宿174番地8に新校舎が完成していて移転[1]。
- 1928年(昭和3年) - 木造校舎建築(現:内田未来楽校)[1]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 内田国民学校に改称[1]。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 内田村立内田小学校に改称[1]。
- 1954年(昭和29年)11月15日 - 南総町立内田小学校に改称[1]。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 前日限りで閉校した南総町立内田中学校跡地に移転[1]。
- 1967年(昭和42年)10月1日 - 市原市立内田小学校に改称[1]。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 二学期制導入[1]。
- 2021年(令和3年)3月31日 - 市原市立内田小学校閉校[3]。
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校則
校章
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校歌
校歌についての情報は以下の通りである[4]。
- 作詞:勝承夫
- 作曲:小林三千三
施設
敷地
敷地の詳細は以下の通りである[5]。
建物
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規模
2020年(令和2年)5月1日現在の学校規模は以下の通りである[7][8][9]。
諸活動
児童会活動
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部活動
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年間行事
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通学区域
閉校前の2020年(令和2年)4月1日の時点では、以下の町丁字とその範囲を通学区域に指定していた 。
通学区域内施設
通学区域内の主な施設は以下の通りである。
- 内田未来楽校
中学校区
1947年度 - 1954年11月14日
1954年11月15日 - 1965年3月31日
1965年4月1日 - 1967年9月30日
1967年10月1日 - 1971年3月31日
1971年4月1日 - 2021年3月31日
アクセス
- 上総牛久駅から徒歩42分
脚注
関連項目
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