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帝国通信社

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帝国通信社(ていこくつうしんしゃ、1892年 - 1929年)は、かつて日本に存在した通信社日清戦争日露戦争を通じて業務を拡大した。

概要 種類, 本社所在地 ...

概要

益田孝発起の時事通信社(1888年創立)と曽宮禄祐発起の新聞用達会社(1890年創立)が、1892年に合併して発起した。新聞紙上の略称帝通[注釈 1]

ただし、日清戦争初期の1894年7月26日から1年間は青木周蔵ロイターと密約を交わしており、日本政府が公式に外国向けに発表するニュースはロイターだけに提供されていた[1]

日本電報通信社(電通)、国際通信社(国通、のち日本新聞聯合社、日本新聞聯合社)と激しく競争した。

1927年にアメリカ合衆国INSと直接契約したが、国際通信社が提供していたロイター通信社外電配給サービスが終了したことなどから勢力が衰え、1929年に破産して解散。

沿革

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フランスの無線電信局。
  • 1892年(明治25年)- 5月10日、新聞用達会社と時事通信社が合併して創立。社長は竹村良貞。本社は東京市京橋区山下町
  • 1906年(明治39年)- 国際無線電信会議を発足させた国際無線電信連合が非公式に設立[2]
  • 1923年(大正12年)- 6月、頼母木桂吉が社長に就任。資本金10万円の株式会社に改組。9月、関東大震災で社屋全壊を被る。
  • 1924年(大正13年)- 8月15日、フランスのボルドー無線電信局の受信を開始。9月30日、ドイツのナウエン無線電信局英語版と受信契約を締結。富田幸次郎社長に就任[3]
  • 1926年(昭和元年) - 取締役会と意見が合わず社長の越野宗太郎が辞任。
  • 1927年(昭和2年)- アメリカのINSと通信契約を結ぶ。
  • 1929年(昭和4年)- 3月28日、破産宣告を受ける。

エピソード

  • 日清戦争ののち、1898年に東京で開催された奠都三十年記念祝賀会に諸々の新聞社・通信社とともに協賛[4]
  • 1913年には国技館内で香りつきの夕刊を無料配布して話題になった[5]
  • 1916年(大正5年)、万年社、京華社支店、金水堂、倣蟻社、大阪電通、弘業社支店、広知社、旭広告とともに、大阪で新設した広告代理業団体「水曜会」に参加。

関連項目

脚注

参考文献

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