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平行盛
平安時代末期の武将。平基盛の長男。勅撰集『千載和歌集』以下に4首入集 ウィキペディアから
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平 行盛(たいら の ゆきもり)は、平安時代末期の平家一門の武将。平清盛の次男である平基盛の長男。
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生涯
父の基盛は1162年に24歳で早世したが、平家一門の栄達にともない治承2年に叔父の宗盛の知行国の播磨守となり[1]、翌年の治承3年には叔父の重衡の後任で左馬頭になり正五位下に昇叙した。
藤原定家に師事し歌人としても名を上げた。都落ちの際に自身の詠草を定家に託し、その包み紙に書かれた和歌は後に新勅撰和歌集に入集している。
治承・寿永の乱においては倶利伽羅峠の戦い、藤戸の戦い、屋島の戦いなどに参加。特に藤戸の戦いにおいては、大将軍として佐々木盛綱率いる源氏方と対戦した。元暦2年(1185年)3月、壇ノ浦の戦いにおいて最終的な敗北を喫し、従兄弟の資盛、有盛とともに入水自殺した説(『平家物語』)、または討死した説(『源平盛衰記』)などがある。しかし『吾妻鏡』の3月24日の壇ノ浦合戦に関する記述には名前が書かれておらず(4月の報告には書かれている)、赤間神宮の七盛塚にも名前はない。
脚注
伝承
関連項目
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