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廣澤金次郎

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廣澤金次郎
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広沢 金次郎(ひろさわ きんじろう[1]旧字体廣澤 金次󠄁 [2]1871年8月28日明治4年旧暦7月13日) - 1928年昭和3年)12月13日[3])は、日本官僚政治家実業家伯爵[2][4][5]。従二位勲二等[1]

概要 生年月日, 出生地 ...

駐スペイン公使貴族院伯爵議員などを歴任した。

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来歴

生い立ち

長門国(現・山口県)出身。藤原秀郷の後裔で、中世波多野を姓とし、代々毛利家に仕える[4]

広沢真臣(廣澤眞臣)の長男[4][5]。父・真臣は金次郎が生まれる半年前に刺客に殺害されている。十五銀行支配人の柏村監督の下に毛利五郎小早川四郎らと共に1878年(明治11年)頃、慶應義塾幼稚舎に入る[2]

イギリスのケンブリッジ大学に入り、その予備科在学中は寄宿舎で生活をする[2]ケンブリッジ大学法律専門科卒業[1]スイスの大学に6ヶ月留まり、フランス語を研究し、再びイギリスに帰り代言人某に就いて法律を学ぶ[2]

官界、政界にて

スペイン駐箚公使などを歴任し、1884年(明治17年)に伯爵爵位を授けられた。第2回貴族院伯爵議員選挙で当選し、1897年(明治30年)7月10日に貴族院議員となる[6]。第3回貴族院伯爵議員選挙で再選され[7]、1911年(明治44年)7月9日に任期満了となる[注釈 1]。第5回貴族院伯爵議員選挙で再選され、1918年(大正7年)7月10日から[8]、1925年(大正14年)7月9日まで[3]通算3期在任した。院内では研究会に所属した[3]。また、1900年(明治33年)まで内閣総理大臣秘書官を務めた。

日本製鋼所、日英共同事業に携わる。また、武蔵電気鉄道社長などを務めた。

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栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

家族・親族

廣澤家
  • 父・真臣兵助[5]、1834年 - 1871年、長州藩士) - 維新の十傑の一人。
  • 前妻・千代子(1876年 - 1904年、子爵・山根三郎の姉、山尾庸三の次女)[16]
  • 後妻・亀子1883年 - ?、子爵・山尾三郎の妹[4]、山尾庸三の六女[5]
  • 長男・眞吾(1898年 - 1983年、伯爵、国士舘大学教授)
  • 三女・直子(1904年 - 1932年、池田勇人の最初の妻)
親戚

系譜

┏木戸 孝允
┃
┗━━━治子
    ┃
    ┣━━━━木戸 孝正
    ┃       ┃    ┏━木戸 幸一   都留 重人
 来原 良蔵      ┣━━━━┫            ┃
            ┃    ┗━和田 小六━┳━━━━正子
       ┏━━━━寿栄           ┃
       ┃                 ┗━和田 昭允
       ┣━山尾 三郎
 山尾 庸三━┫
       ┃ 大隈 信常━━━━━━━━豊子
       ┃              ┃
       ┗━━━━千代        ┣━━━━廣澤 眞信
            ┃         ┃       ┃
            ┣━━━━┳━廣澤 眞吾      ┃
            ┃    ┃            ┃
 廣澤 眞臣━━━廣澤金次郎   ┃ 毛利 元道━━━━━━妙子
                 ┃
                 ┗━━━━直子 ┏━━━━直子
                      ┃  ┃
         池田吾一郎━━━━━池田 勇人 ┃
                      ┃  ┣━━━━紀子
                      ┣━━┫    ┃
                      ┃  ┃ 池田 行彦
                      満枝 ┃
                         ┃
                         ┗━━━━祥子
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脚注

参考文献

関連項目

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