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広瀬勝滋

大日本帝国陸軍軍人 ウィキペディアから

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広瀬 勝滋(ひろせ かつしげ、1884年明治17年)3月20日[1]1958年昭和33年)3月16日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将群馬県桐生市長

経歴

大分県出身。1905年(明治38年)に陸軍士官学校を卒業し、工兵少尉に任官した[1]。工兵第18大隊長、東部第42部隊長、桐生高等工業学校配属将校、秋田連隊区司令官などを歴任し、1942年(昭和17年)に陸軍少将に昇進した[2]

桐生高等工業学校の配属将校であった縁から1944年(昭和19年)に桐生市長に選出され、翌年まで在任した[2]

市長辞職後、公職追放でいったん桐生を去るが[3]、再び桐生を訪れて当時の前原一治市長に「庁内の掃除でもやらせてくれないか」と持ち出した。前原は清掃監督なるポストを設けて雇ったが、広瀬は過去の栄光を断ち切って黙々と職務に励んだという[4]

栄典

脚注

参考文献

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