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徐敬徳 (李氏朝鮮)
李氏朝鮮の哲学者 (1489-1546) ウィキペディアから
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徐 敬徳(ソ・ギョンドク、じょ けいとく、서경덕、1489年2月17日 - 1546年7月7日)は、李氏朝鮮中期の儒学家である。本貫は唐城徐氏[1](南陽徐氏の分籍[2])。字は可久。号は花潭、復斎。妓生の黄真伊、朴淵瀑布とともに、「松都(松京)三絶」と並び称される。
経歴
開城に生まれ、寒微(下層階級)の出身であるが早くから苦学し、1531年、科挙の生員試に応じて合格し、1540年、大提学の金安国によって「遺逸の士」として推挙されたが、生涯仕官せず、弟子を育成した。北宋の張横渠、邵康節の学説の影響を受け、南宋の朱子学の理元論に反対し、朝鮮で初めて気一元論の唯物論(無神論)的で弁証法的な哲学を打ち立てた。
作品
- 花潭集(화담집)
- 原理気(원이기)
- 理気説(이기설)
- 太虚説(태허설)
- 鬼神死生論(귀신사생론)
弟子
脚注
参考文献
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