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徳川宗賢
日本の言語学者 ウィキペディアから
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徳川 宗賢(とくがわ むねまさ、1930年11月27日 - 1999年6月6日)は、日本の言語学者・国語学者。大阪大学名誉教授。博士(文学)。日本語の方言学の第一人者であった。
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生涯
東京府出身。田安徳川家9代当主・徳川達孝伯爵の長男徳川達成(のち10代当主、伯爵)の次男として生まれる。母は徳川元子。
学習院大学文学部文学科国文学専攻を卒業[1]。学習院大学大学院人文科学研究科国文学修士課程を修了[1]。東条操に師事した[2]。
国立国語研究所研究員、大阪大学文学部教授を経て、学習院大学文学部日本語日本文学科教授。国語学会代表理事。社会言語科学会会長。第21期国語審議会委員。
業績
研究領域は幅広く、日本語教育や国際交流の分野でも活躍したが[4][5]、特筆すべきは日本語の方言に関する研究である。国立国語研究所が研究の一環として方言の全国調査に乗り出し、その調査結果を『日本言語地図』としてまとめたが、この企画・調査・編集作業に主導的役割を果たした[6][7]。従来の方言研究は「言語変異の空間的側面を捉えることによって成立する」というのが一般的な立場であったが、徳川は「空間的側面のみならず、地域社会の複雑な言語実態を総合的に捉えるべき」という立場から、個人差と地域差、年齢差と地域差、場面差と地域差などの観点から分析を進め、日本における方言学の流れを大きく変えた[6][8]。
この他、司馬遼太郎とも、対話「日本の母語は各地の方言」(『日本語と日本人』 中公文庫、のち『日本語の本質 - 司馬遼太郎対話選集2』文春文庫)を行っている。また、テレビ番組「探偵!ナイトスクープ」のアホ・バカ分布図作成にアドバイスを行った。さらに広く、国語審議会委員、日本学術会議会員として、国の言語政策、文教政策にも重要な提言をした[9]。
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人物
国立国語研究所の所員であった頃、『日本言語地図』作成のために調査に出かけ、県境の田舎にある農家の縁先に腰をかけたところ、出されたお茶の中に虫が混入していたが、注いでくれた老婆が後ろを向いた隙に虫を摘まみ出し、老婆がこちらへ向き直った時には、そのお茶を美味しそうに悠然と飲み干して調査を続行した[9]。
飾らない人柄から、周りの人からはよく「お殿様」と呼ばれたが[10]、親しい仲間では「トクちゃん」と呼ばれることが多かった[11]。出身や身分や年齢にこだわらず分け隔てなく接し、誰からどんな論文を送られてもすぐに感想をしたためて激励した[9]。卒業論文の成績評価に関しても、減点法ではなく加点法を採用し、的確に長所を見つけては助言した[12]。
非常に筆まめで、葉書の数通を会議の内職で簡単に書き上げていた[13]。来た手紙には必ず返信を書き、また自分から思いついたことがあれば、すぐに手紙を書いた[14]。
家族
著書
編著・共編
- 『方言研究のすべて』(平井昌夫共編、至文堂) 1969
- 『類義語辞典』(宮島達夫共編、東京堂出版) 1972・1978
- 『方言地理学図集』(W・A・グロータース共編、秋山書店) 1976
- 『現代の日本語』(柴田武, 祖父江孝男共著、三省堂選書) 1977
- 『日本の方言地図』(中公新書) 1979
- 『上方ことばの世界』(武蔵野書院、武蔵野文庫、懐徳堂記念講座) 1985
- 『日米のコミュニケーション』(南雲堂) 1985
- 『新・方言学を学ぶ人のために』(真田信治共編、世界思想社) 1991
- 『関西方言の社会言語学』(真田信治共編、世界思想社) 1995
- 『集英社ポケット国語辞典』(集英社) 1996
- 『集英社ポケットカタカナ語辞典』(集英社) 1999
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脚注
参考文献
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