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志宝屋神社

三重県伊勢市大湊町にある神社 ウィキペディアから

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志宝屋神社(しおやじんじゃ)は、伊勢神宮豊受大神宮(外宮)の末社。外宮の末社8社のうち第8位である[1]

概要 志宝屋神社, 所在地 ...
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社叢全景。参道口に鳥居が見える。

祭神は塩業のであり、鎮座地の三重県伊勢市大湊町では、かつて製塩業が盛んに行われていた[2]

概要

20世紀までは造船の街であった伊勢市大湊町に鎮座する[3]。大湊町は河口の三角州であり、周囲を堤防で囲まれている[3]。伊勢市御薗町方面から宮川の堤防道路に沿って進むと、志宝屋神社の森が見える[3]。神社の森は「鵜の森」と呼ばれる[2]。神域の面積は2反2畝23歩(約2,257.85m2[4]

周辺住民からは「明神さん」[5]、「湊の明神さま」、「塩屋明神」と呼ばれ、親しまれる[2][3]

祭神

祭神は鹽土老翁(しおつちのおじ)[3]。塩業の神であるとともに海路の守護神でもある[2][3]が、地域住民からは安産の神としても広く信仰されている[3]

宮城県塩竈市鹽竈神社より1座の御魂を分霊して祀ったとする伝承がある[5]

歴史

伊勢神宮の末社の定義より『延暦儀式帳』成立、すなわち延暦23年(804年)以前に創建された[6]。鎮座地周辺は「大塩屋村」と呼ばれ、伊勢神宮に奉納する御塩を焼く村人が多かったという[5]櫻井勝之進は、志宝屋神社に関連して、以下のように述べている[7]

塩屋というのは後世に大湊として繁栄した港町の古名といわれるが、当時はまだその社も末官帳社であったとすれば、塩焼く煙の立つほどの小村にすぎなかったのであろうか。 櫻井勝之進『伊勢神宮』93ページ

志宝屋神社の社殿明応7年8月25日ユリウス暦1498年9月11日)に発生した明応地震により、大塩屋村の家々1,000軒とともに流され、失われた[5]。その後、寛永21年(1644年)に再興され、今日に至る[5]

交通

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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