トップQs
タイムライン
チャット
視点
志田周子
ウィキペディアから
Remove ads
志田 周子(しだ ちかこ、1910年(明治43年)10月28日 - 1962年(昭和37年)7月18日[1])は山形県出身の女医、歌人。「仙境のナイチンゲール」と称された[2]。
生涯
1910年(明治43年)小学校教員で後に大井沢村村長となる父・荘次郎、母・せいの長女として、西村山郡左沢町(現大江町)に生まれる[3]。西村山郡大井沢村(現西川町)の大井沢尋常小学校を経て、山形県立山形第一高等女学校(現山形県立山形西高等学校)に進学[2]。村で初めての女学校生と話題になる。1928年(昭和3年)東京女子医学専門学校(現東京女子医科大学)に進学。1933年同卒業[3]。1935年(昭和10年)「3年でいいから」という父・荘次郎の懇請で、当時無医村だった大井沢村に戻り[2]、唯一の村医となる。以後20年以上にわたり無医村の地域医療に尽力しつつ、婦人会長、大井沢村会議員・西川町会議員などを歴任した[3][1]。同時に結城哀草果に師事するアララギ派の歌人としても活躍した。1959年(昭和34年)保健文化賞を受賞[2]。その他医師会、県知事から数々の表彰を受賞した。
Remove ads
関連書籍
- あべ美佳『いしゃ先生』(2015年9月8日、PHP文芸文庫、ISBN 978-4-569-76416-0)
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads