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念流

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念流
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念流(ねんりゅう)は、室町時代念阿弥慈恩(相馬義元)が創めた剣術流派で、日本兵法三大源流の一つにして最も古い流儀(念阿弥慈恩や神道流陰流を参照)。剣術の他、鎖鎌[1]棒術捕縛術などを伝えていたとする[2]

概要 念流ねんりゅう, 使用武器 ...

慈恩には弟子が14人いたとされ、堤宝山には刀槍と鎧組(組討・柔術)を教えたとされ、宝山流歌伝には「平(兵)法のみなもとこそは仏法よいずれといはは(いわば)法と答よ」とあり、僧を師としたことがわかり、当流が確認される最古級の柔術という見解がある[3]

流名由来諸説

流名の「」は『撃剣叢談』によると、「一念をもって勝つことを主とする」ところからきており、「右手を斬られれば、左手で詰め、左右の手が無ければ、噛(かぶ)りついても一念を徹(とお)すという伝授である」と記している。また『撃剣叢談』の記述として、稽古時の構えとして、上略・中略・下略の三段があると記し、修行をつんだ者は、「太刀先にをかけ、あるいは梯子をかけて人を登らせることもできる」(60キログラムのものを切っ先につけても構えられる)と記し、そのため、刺突が速かったと記述される。

備考

  • 念流鎖鎌術から派生したとされる一心流(流祖・丹一心)の鎖鎌は、の長さが12(約3.6メートル)、分銅の重さが300(1.1キログラム以上)とかなり大きいものを操っている[4]
  • 『奥山念流系図』には、慈恩は「奥山念僧」と記され、次に分立誥可→有徳清太夫→本木三太夫→竹内甚太夫→金高九左衛門と続き、7代目から9代目の浦辺家(子孫本庄市在住)を経て、児玉郡域および上野国に広まる[5]

脚注

参考文献

関連項目

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