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児玉郡
埼玉県(武蔵国)の郡 ウィキペディアから
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人口53,078人、面積109.99km²、人口密度483人/km²。(2025年7月1日、推計人口)
以下の3町を含む。
郡域
発足時の郡域は、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。
- 本庄市(小島および小和瀬、滝瀬、宮戸および児玉町秋山、児玉町小平を除く全域)
- 神川町(大字熊野堂、二ノ宮、新宿、池田、中新里、新里、渡瀬、下阿久原、上阿久原)
- 美里町(大字阿那志、根木、沼上、関、下児玉、南十条、北十条、小茂田)
賀美郡、那珂郡統合後の郡域は、上記3町以外では、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。
- 本庄市(全域)
- 上里町(全域)
- 賀美郡 小島
以下の地域は隣接する郡から当郡に編入されている。なお、熊野堂村は児玉郡→賀美郡→児玉郡という変遷をたどっている。
歴史
近世以降の沿革
- 寛文年間 - 出牛村と加増村が秩父郡金沢村へ合併。[1]
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が存在。幕府領は木村飛騨守支配所(関東在方掛)、伊奈半左衛門支配所、川田玄蕃支配所が管轄。(2町1宿58村)
町村制以降の沿革

- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、以下の町村が発足。特記以外は現・本庄市。(2町14村)
- 本庄町(本庄宿が単独町制)
- 藤田村 ← 傍示堂村、鵜森村および榛沢郡牧西村、小和瀬村、滝瀬村、宮戸村
- 仁手村 ← 仁手村、上仁手村、下仁手村、久々宇村、田中村
- 旭村 ← 都島村、小島村、沼和田村、山王堂村、新井村、杉山村、下野堂村
- 北泉村 ← 北堀村、東五十子村、西五十子村、東富田村、西富田村、四方田村、栗崎村
- 東児玉村 ← 阿那志村、根木村、沼上村、関村、下児玉村、南十条村、北十条村、小茂田村(現・美里町)
- 共和村 ← 今井村、蛭川村、高関村、入浅見村、下浅見村、下真下村
- 上真下村、吉田林村(それぞれ単独村制)
- 児玉町 ← 児玉町、八幡山町
- 金屋村 ← 金屋村、長沖村、高柳村、飯倉村、塩谷村、宮内村
- 保木野村、田端村(それぞれ単独村制)
- 青柳村 ← 二ノ宮村、新宿村、池田村、中新里村、新里村(現・神川町)
- 若泉村 ← 渡瀬村 (埼玉県)、下阿久原村、上阿久原村(現・神川町)役場は群馬県鬼石町。
- 本泉村 ← 河内村、太駄村、元田村、稲沢村
- 熊野堂村が賀美郡丹荘村の一部となる。
- 1892年(明治25年)9月29日 - 金屋組合村(金屋村・保木野村・田端村)が合併して金屋村が発足。(2町12村)
- 1896年(明治29年)
- 1900年(明治33年) - 共和組合村(共和村・上真下村・吉田林村)が、上真下村・吉田林村が共和村に編入されることで再編されて共和村が発足。(2町18村)
- 1923年(大正12年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 1926年(大正15年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 秩父郡矢納村の所属郡が当郡に変更。(2町19村)
- 1949年(昭和24年)12月1日 - 若泉村が分村となり、大字渡瀬に渡瀬村、大字下阿久原・上阿久原に阿久原村を設置。(2町20村)
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)3月20日 - 児玉町・金屋村・秋平村・本泉村が合併し、改めて児玉町が発足。(1町6村)
- 1957年(昭和32年)
- 5月3日 - 渡瀬村が神川村に編入。(1町5村)
- 7月18日 - 共和村の一部(大字今井)が本庄市、残部が児玉町に分割編入。(1町4村)
- 1971年(昭和46年)11月3日 - 上里村が町制施行して上里町となる。(2町3村)
- 1984年(昭和59年)10月1日 - 美里村が町制施行して美里町となる。(3町2村)
- 1987年(昭和62年)10月1日 - 神川村が町制施行して神川町となる。(4町1村)
- 2006年(平成18年)
変遷表
自治体の変遷
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行政
- 児玉・加美・那珂郡長
- 児玉郡長
脚注
参考文献
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