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恋のピンチ・ヒッター
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「恋のピンチ・ヒッター」(Substitute)は、イングランドのロックバンド、ザ・フーの楽曲。1966年に4枚目のシングルとしてリリースされた[注釈 1]。作詞、作曲とプロデュースはピート・タウンゼント。オリジナルアルバムには未収録。
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解説
前作「マイ・ジェネレーション」までのプロデューサーだったシェル・タルミーと決別した後の最初の作品で、タウンゼントが自らプロデュースした。全英2位を記録した前作に続き、全英5位につけるヒットとなった。この曲はタウンゼントのデモ・テープ[注釈 2]から作られた最初の作品であった[2]。アコースティックギターが使用され、前作に比べキャッチーな曲調になっている。人種問題に敏感なアメリカでは「俺は白人に見えるが俺の親父は黒人だ」という歌詞が「俺は前に進もうとしてるのに足が後に向かう」に変更されている[2]。この曲のリアル・ステレオ・バージョンは存在しない[4]。
発表以来、ザ・フーのコンサートの常連曲となっており、『ライヴ・アット・リーズ』(1970年)や『ワイト島ライヴ1970』(1996年)、『フーズ・ラスト』(1984年)等、数々の公式ライブアルバムに収録されている。
2022年にローリング・ストーン誌の「ザ・フーの史上最高の50曲」で11位[5]、2023年にペースト誌の「ザ・フーの史上最高の20曲」で13位[6]、2020年にギターワールド誌の「偉大なる12弦ギターソング」で18位[7]に選ばれている。
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シングル発表をめぐるトラブル
要約
視点
本作をシングル発表する前の1966年1月、ザ・フーはタルミーのプロデュースで「サークルズ」と「インスタント・パーティ」[注釈 3]をレコーディングする[8]。それから間もなく、彼等は印税の取り分をめぐる対立からタルミーとの契約を破棄し[8]、ブランズウィック・レコードからエージェントのロバート・スティグウッドが設立したリアクション・レコードへ移籍した。
彼等は「サークルズ」を自分達のプロデュースで録音し直し、それをB面に収録した本作のシングルを3月4日にリアクション・レコードから発表した[9]。だがタルミーは「サークルズ」が著作権侵害に当たるとして[注釈 4]裁判所にシングルの発売の即時停止を訴えた[10]。彼等はこの動きを見越してB面収録曲の曲名が「インスタント・パーティ」となった[注釈 5]シングル[11]も同日に発売していたが無駄に終わり[10]、両方のシングルとも発売5日後の3月8日に発禁処分を受けてしまった。
35,000枚もの予約を受けていた事もあって彼等は「サークルズ」を収録していないシングルの発表を急ぎ、この処分に抵抗する意味もこめて、"The Who Orchestra"名義の「ワルツ・フォー・ザ・ピッグ」という、タルミーを揶揄した曲名を持つインストゥルメンタルをB面に収録したシングルを3月14日に発売した[12]。この曲はスティグウッドがマネージメントしていたグレアム・ボンド・オーガニゼーション(GBO)が演奏したもの[13]で、彼等は一切関わっていない[注釈 6][注釈 7][14][15]。
このため本作のシングルはイギリスでは3つのバージョンが存在することになる[9][11][12]。
このように「恋のピンチ・ヒッター」は様々な問題に苛まれたが、UKチャートの5位に入るヒットとなった。この人気に乗じてアメリカでも5月7日にB面に"The Who Orchestra"「ワルツ・フォー・ザ・ピッグ」を収録したシングルが発表された[注釈 8][16]が、チャートインしなかった[14]。
なおタルミーは、自分が本作もプロデュースしたと主張している[2]。彼はさらに本作のシングルの売上に対抗するために、自分がプロデュースしたアルバム『マイ・ジェネレーション』からバンド側に無許可でシングルをカットして、ブランズウィック・レコードから発表し続けた。その第一弾が皮肉にも「リーガル・マター」(法的問題)であり、彼はB面に自分がプロデュースした「サークルズ」を「インスタント・パーティ」と改題して収録して3月7日に発表した[14][17]。続いて「ザ・キッズ・アー・オールライト」[18]、「ラ・ラ・ラ・ライズ」[19]と執拗にシングル・カットを繰り返したが、いずれもチャートの上位には届かなかった[20]。
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脚注
外部リンク
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