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戸村義和
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戸村 義和(とむら よしかず)は、日本の武将。戸村家7代当主・戸村義国の父にあたる。また、佐竹一族である。
生涯
出自
豊後国の守護・戸村義廣の子として生まれる。戸村氏は代々、佐竹氏の支流として受け継がれてきた[1]。その中で義和は十太夫(十大夫)を襲名しているため6代当主と思われる。
江戸氏と佐竹氏
当時、佐竹氏の家臣であった義和と父義廣は、1590年(天正18年)に江戸氏と佐竹氏の不知を知り、義廣自らが奮戦し江戸勢を打ち破る[1]。また、義和は江戸重通の娘・知哀院を側室として迎えている[2]。 1591年7月3日(天正19年5月13日)には後の戸村家7代当主・戸村義国を生んでいる[要出典]。
文禄の役
佐竹義宣の時代、文禄の役では朝鮮を征伐しに参陣したものの、朝鮮にて病に倒れ、1592年8月30日(文禄元年7月23日)に病死(一説によると戦死とも言われる[3])[2]。義国は父の顔を見ることができなかったという。墓は戸村家代々が眠る横手市の龍昌院[4]。後に義国に当主を継いでいる。
系譜
脚注
参考文献
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