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戸田忠義
明治期の政治家、尋常小学校教員、華族 ウィキペディアから
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戸田 忠義(とだ ただよし、1864年9月1日(元治元年8月1日[1])- 1915年(大正4年)4月15日[1][2])は、明治期の政治家、尋常小学校教員、華族。貴族院子爵議員。
経歴
下野宇都宮藩一門重臣・戸田忠至の嫡男戸田忠綱の長男として生まれる[1]。忠義の出生当時、祖父の忠至はすでに大名格であったが、2年後の慶応2年(1866年)に分知を受けて支藩下野高徳藩主となった[1]。父の忠綱もその跡を継いで明治2年(1869年)に高徳藩知事、のち曾我野藩知事となった[1]。
父の隠居に伴い、1882年(明治15年)6月29日に家督を相続する[1]。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3]。
1883年(明治16年)宮中賢所勤番に就任する[2]。1893年(明治26年)7月、東京音楽学校本科師範部を卒業[4]。1897年(明治30年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[5]、1900年(明治33年)9月29日に辞職した[2][6]。1910年(明治43年)から尋常第一横須賀小学校(現在の横須賀市立諏訪小学校)の教員となった[4]。
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親族
脚注
参考文献
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