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拈華微笑
禅宗における説話の一つ ウィキペディアから
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拈華微笑(ねんげみしょう)とは、宋代以後禅宗にその法脈を釈尊が摩訶迦葉に微妙の法門として付嘱したという禅林において喧伝された説話である。禅宗の起源を説くとされ、看話禅の公案の一つでもある[1]。宋代以降の禅宗において、不立文字・教外別伝の立宗の基盤を示すものとして重用された。

概略
インドの霊鷲山(グリドラクータ、ギッジャクータ)上で釈尊が黙って華を拈(ひね)ったところ、会座の衆はその意味を理解することができなかったが、迦葉尊者だけがその意味を理解して微笑した[2]。悟りは文字理論によって伝わるものではないという不立文字の意味を示しものであり、釈尊が迦葉尊者にのみ正法を授けたという伝灯の起源となった。この説話の最古とされるものは、『天聖廣燈録[3]』(1036年)である[4][5]。一方、偽経大梵天王問仏決疑経が初出だとする説もある[6]。
『天聖廣燈録』 卷第二 第一祖摩訶迦葉尊者に、
如來靈山に在りて説法するに、諸天献華し、世尊華を持ちて衆に示す。迦葉微笑せり。世尊衆に告げて曰く。吾に正法眼藏、涅槃妙心有り。摩訶迦葉に付囑す。流布せしめ將來、斷絶令ること勿れ。仍金縷の僧伽梨衣を以て迦葉に付す。[7]
とある。ただし此処では未だ「拈華」でなく「持華」となっている。150年ほど後の(1183年)『聯燈会要』・釈迦牟尼仏章には、定式化した「霊山會上拮華微笑」の説話が見られる、
世尊は靈山會上に在り、花を拈じて衆に示す。衆皆黙然たり。唯迦葉のみ破顔徴笑す。世尊云く、吾に正法眼蔵、涅槃妙心、實相無相、微妙法門、不立文字、敎外別傳あり、摩詞迦葉に付嘱す。[8]
とある。また『大梵天王問仏決疑経』1巻本、2巻本には該当する記述があるが、日本撰述の偽経とされる[9]。
宋代以降に『人天眼目』(1188年[10])、『無門関』(1228年)、『五灯会元』(1252年)、『仏祖統紀』(1269年)、『六祖大師法宝壇経序』(徳異[11]撰、1290年)、『仏祖歴代通載[12]』(1344年)、『釈氏稽古略[13]』(1354年)、『禅宗頌古聯珠集』(1392年重刻)などの禅籍に「拮華微笑」説話が記載されるようになった[14]。
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注・出典
関連項目
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