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指紋
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指紋(しもん、英語: Fingerprint)は、動物の皮膚紋理の一種[1]。ヒト、ゴリラ、オランウータン、チンパンジーなどの指にみられる細胞組織の粗密や凹凸で形成された紋様である[1]。また、その紋様が指頭から物体に転移して印象されたものを指す場合もある[2]。以下ではヒトの指紋を中心に述べる。

概要
ヒトの指紋は指の表面に形態学的、組織学的に現れる紋理で、波状の隆線が0.3ミリから0.7ミリ間隔で並んだものである[1]。隆線(Ridge Line)は指紋の紋様を形成する皮膚の盛り上がった部分を指す[3]。ヒトの指紋は胎児期の10週目くらいまでに形成される[1]。指紋には「万人不同」と「終生不変」という二大特徴があるとされ[2][4]、個人識別を行う手段として用いられている[2][4]。1891年、フランシス・ゴルトン(ゴールトン)がマニューシャ(隆線の端点や分岐点などの特徴点)の存在を明らかにし、マニューシャが別人と一致する確率が640億分の1であることを数学的に証明した[3]。ただし、なぜ指紋の形が個人で異なるのかは未だに明らかになっていない[1]。
遺伝病である先天性指紋欠如疾患や、ネーゲリ症候群、網状色素性皮膚症等の発症者は指紋が無いという特徴を持つ[5]。歌舞伎症候群の発症者は蹄状紋増加等特徴的な指紋を有する[6]。
台湾では5世代に亘って先天的に両手両足の指紋が無い一族が発見された。ただし刑事局は溝が浅く肉眼では見えないだけで識別器では判別できるとしている[7]。
軍や警察に所属する際には指紋を登録する場合が多い。例えば、日本の自衛隊では、隊員の身分証明書に氏名や生年月日、階級、認識番号などの情報が記載されているほか、顔写真や指紋も付されている[8][9]。
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歴史
要約
視点
前史
指紋の歴史は古く、1万年以上前の旧石器時代の人の掌の印象が発見されている[2]。紀元前6000年頃には中国や古代アッシリアで粘土板上に押し付けた拇印で個人認証を行っていたとされる[3]。また、紀元前3000年頃には職人が自らの作品に指紋を押した例がある[2]。
皮膚紋様の特殊性を最初に科学的に記録した人物はイギリスのネヘミア・グルーといわれ[4]、英国学士院に1684年[4](一説には1685年[2])にレポートを提出した[4]。
1823年、ジョン・パーキンジが指紋を9種類のパターンに分類した[3]。
指紋法の確立と採用
指紋を実際に利用しようとした最初の人物は、イギリス人のヘンリー・フォールズ(1843年-1930年)とウィリアム・ジェームス・ハーシェル(1833年-1917年)とされる[4]。
医師であり宣教師でもあったヘンリー・フォールズは1874年から約10年間、東京築地の病院で勤務した[4]。1877年にモース博士により発見された大森貝塚から出土した数千年前の土器に付着した古代人の指紋が現代人のものと変わらない事に感銘を受け、指紋の研究を始めたといわれている[10][11]。ヘンリー・フォールズの研究は、病院の医療用アルコールを盗み飲みしていた学生の割り出しや侵入窃盗の容疑者の嫌疑を晴らすのに役立ったという逸話がある[4]。ヘンリー・フォールズの考察はイギリスの科学雑誌『ネイチャー』の1880年10月28日号に発表された[4]。ヘンリー・フォールズは数千人の指紋の相互比較を通して指紋の「万人不同性」を確認したとされる[3]。
ウィリアム・ジェームス・ハーシェルは1853年から約25年間、インドで勤務した[4]。この間に指掌紋に興味を持ち、契約書に指紋を押させたり、年金受給者の受領印として指紋を使用したほか、既決囚の収監時に指紋の押捺を強制したとされる[4]。そしてハーシェルもイギリスの科学雑誌『ネイチャー』の1880年11月25日号に観察結果を報告した[4]。ウィリアム・ハーシェルは指紋が「終生不変」であることを確認したとされる[3]。
フォールズとハーシェルは後に指紋鑑定の先駆者はどちらかを巡って争うこととなった[4]。
1891年にはフランシス・ゴルトン(ゴールトン)がマニューシャ(隆線の端点と分岐点)の存在を明らかにし、マニューシャが別人と一致する確率が640億分の1であることを数学的に証明した[3]。翌1892年にはアルゼンチンのファン・ブセティッチがこのマニューシャによる最初の犯人識別を行った[3]。
1900年前後から各国で指紋が犯罪鑑定における個人識別に利用されるようになった[2]。1897年にはインド政府が指紋法を発布している[3]。
1901年にはスコットランドヤードがヘンリー式指紋法を採用した[4]。
日本では1908年(明治41年)10月16日に司法省が監獄での指紋押捺の実施を訓令したのが始まりで[4]、監獄局は、全国の監獄に、満期接近の受刑者の指紋を徴取するよう指示した[12]。1912年、警視庁が指紋採取を行うこととなり、司法省から18万枚の指紋原紙を引き継いだ。 1915年には大阪府下でも犯罪捜査における利用が始まった[13]。1951年7月16日時点で、国家地方警察本部鑑識課が保有する指紋原紙は500万枚を超える数になっていた[14]。
コンピューターを利用した指紋照合の自動化の研究は、1965年にFBIがアメリカ国立標準技術研究所とデジタル画像処理による自動指紋検索システムの開発に着手したのが最初の本格的な試み。1972年にロックウェル・インターナショナルが初のシステム「Finder」をFBIに納入した。日本では1971年に警察庁と日本電気が研究開発に着手し、1982年に最初の実用機を日本の警察庁へ納入し、運用が開始された[15]。
- ウィリアム・ジェームス・ハーシェル
- ヘンリー・フォールズ
- フランシス・ゴルトン
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指紋の種類
指紋の分類法にはガルトン法(フランシス・ガルトン、1891年)、ヘンリー法(エドワード・ヘンリー、1897年)、ヴィセッチ法(ジュリアン・ヴィセッチ、1898年)、ロッシェル法(テオドル・ロッシェル、1903年)などがある[2]。
日本の警察庁の「十指指紋の分類に関する訓令」では下図のように分類する[16]。
- 渦状紋
- 蹄状紋
- 弓状紋
指紋による生体認証
紀元前6000年頃には中国や古代アッシリアで粘土板上に押し付けた拇印で個人認証を行っていたという[3]。紀元前1000-2000年頃には古代バビロニアで取引に指紋が利用された[3]。また、紀元前300年頃には古代中国で署名として拇印を使用していたとされる[3]。
1918年にエドモンド・ロカードは比較する指紋間でマニューシャ(特徴点)が12個一致すれば同一人物と見なしてよいとする「12点法」を明らかにした[3]。また、1979年にはNECがマニューシャ(特徴点)の位置や方向に、マニューシャ間の隆線数を加味して照合する方式を開発した[3]。
指紋を用いた生体認証の方式としては、以下のような方式がある。
- マニューシャ方式 - マニューシャ(特徴点)の位置や方向で認証する方式[3]。
- マニューシャ・リレーション方式 - マニューシャ(特徴点)の位置や方向にマニューシャ間の隆線数を加味して認証する方式[3]。
- チップマッチング方式 - マニューシャ(特徴点)の位置に周囲の小画像(チップ画像)を加味して認証する方式[3]。
- 周波数マッチング方式 - フーリエ画像同士の相関を計算して認証する方式[3]。
指紋を用いた生体認証の技術は普及が進み、現代では各種専用機器や専用の金庫も市販されている。一方で、ゴムなどで指紋を型取りして指紋を偽造する不正・犯罪もある。こうした偽造指の誤認証を防ぐため、汗孔など微細構造まで読み取る指紋センサーが開発されたり[19]、ATMのように高度な安全性が求められる場合は指紋ではなく指静脈で認証したりする[20]取り組みなどが進んでいる。
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潜在指紋の採取と照合
指紋の検出は物体(物質)に転移して印象されたものを対象とする[2]。ところが、手指掌部からの分泌物のほとんど(98-99%)は水分であり、わずかに塩化ナトリウム、カリウム、カルシウム等の無機物質と乳酸、アミノ酸、尿酸等の有機物質を含むが、基本的には無色透明で肉眼では見えにくい状態である[2]。ただし、分泌物中には油性分や化学反応により呈色する物質が含まれているため、物理的に粉末を付着させたり、化学的に呈色反応を起こさせて指紋を検出することが行われる[2]。
採取
粉末法では、対象によって様々な成分と色をしたパウダー(粉末)を使う[21]。炭素系のブラックカーボン(白い表面に使う)、チタニウム系のホワイトパウダー、アルミニウム系のパウダー(グレイ)、またはそれらの混合である。さらに、磁気系のパウダーや蛍光するもの、スプレータイプのものもある[22]。また、凹凸のある非多孔質表面上からの遺留指紋を検出する為には気化させたシアノアクリレート(接着剤)を利用する[23]。
照合
1918年にエドモンド・ロカードが比較する指紋間で特徴点(マニューシャ)が12個一致すれば同一人物と見なしてよいとする「12点法」を明らかにし、現代に至るまで日本の警察庁など多くの国で採用されている[3]。
特徴点(マニューシャ)の位置や方向の一致点を探すマニューシャ方式のほか、それにマニューシャ間の隆線数を加味したマニューシャ・リレーション方式などがある[3]。
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利用に伴う問題点
公的機関による指紋採取に関しては人権保護の観点から議論の対象となっている。
日本ではかつて外国人登録の際に指紋の押捺・提出が義務付けられており、人権侵害であるとして指紋押捺拒否運動が起こされていた。一方、人権侵害は表向きの理由で、実際には日本における北朝鮮の諜報活動を容易にするためではないかとも疑われていた[24]。その後1980年代から1990年代にかけて指紋押捺の義務は緩和されて行き、1999年には永住者、特別永住者だけでなく全ての外国人に対して撤廃されたが、2007年の出入国管理及び難民認定法により、特別永住者を除く16歳以上の外国人に、J-BISで入国時の指紋押捺と顔写真の撮影が再び義務付けられた。
入国審査
アメリカ合衆国はアメリカ同時多発テロ事件以降に安全保障の強化を目的として、入国時における顔写真撮影と指紋採取を義務付けるUS-VISITを導入した。ブラジル政府はこの方針への対抗処置としてアメリカ人観光客に対して指紋採取を求めるなど外交問題に発展した[25]。日本でも2007年11月20日から入国審査で指紋採取・顔写真撮影を義務化するJ-BISが導入された[26]。初日には過去に不法滞在などで強制送還となった人物など5名が入国を認められなかった。
韓国では1968年の北朝鮮の武装工作員らによる青瓦台襲撃未遂事件の後、北朝鮮の諜報部員対策として、外国人は一律十指の指紋を登録する事を義務付けていたが、2003年康錦實(カングムシル)当時法務長官により、人権侵害の恐れがあるとして外国人登録法案の改定が進まれ、2004年に一旦は撤廃された。しかし、テロ対策などから再び法律が改正され、外国人登録の際の指紋登録が復活し、2012年1月1日からアメリカや日本と同様に、入国する全ての17歳以上の外国人に対して指紋採取と顔写真撮影がおこなわれる[27]。
これらの入国審査に際しての指紋採取については、人権団体から批判が集まっている。
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耐指紋・防指紋フィルム
タッチパネルを用いた電子機器においては、指紋の皮脂などが付着して視認性が低下しないようにするため、耐指紋あるいは防指紋の専用フィルムが市販されている。
指紋と文化
占い
- 指紋で運勢を占う指紋占いという占いがある[28]。
創作物に登場する指紋
- 『007 ダイヤモンドは永遠に』
- Qが開発した指紋シールでジェームズ・ボンドが照合を逃れるシーンが登場する。
- 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津勘吉の指紋は四角形で、この世でただ一人の指紋という事になっている(四角い指紋は実在する)。
- 三重渦状紋(さんじゅうかじょうもん):一つの指紋の中に三つの渦が巻いているという想像上の指紋。江戸川乱歩が推理小説『悪魔の紋章』において創作した。北園龍子という女性の指だけに存在する事になっている。乱歩の影響を受けた次の作品にも登場する。
- 推理小説においても指紋は探偵が犯人を突き止める有力な手がかりとして登場することが多い。最初に指紋を利用した推理小説はマーク・トウェインの『まぬけのウィルソン(The Tragedy of Pudd'nhead Wilson)』(1894年)といわれる。20世紀に入ってからはシャーロック・ホームズものの『ノーウッドの建築業者』(1903年)で現場にあった血の指紋を警察が犯人の証拠と言い出す場面があるなど、同じ指紋が2人といないのが当然な扱いになっている。1907年にはオースティン・フリーマンが指紋偽造を扱った作品『赤い拇指紋』を発表し警察関係者からも注目された。
- 『セブン (映画)』ではビクターの手を切り落としてその指紋で警察にメッセージを残す。さらに犯人は自身の両手の指の皮を全て剥いでいる。
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他の動物種の指紋
ヒト以外では、ゴリラ、オランウータン、チンパンジーなどに指紋はみられる[1]。
オーストラリアに生息するコアラや北米に生息する水棲哺乳動物でありイタチ科イタチ属の一種であるフィッシャーでも指紋が認められる[30]。ある研究によると、ヒトとコアラの指紋は電子顕微鏡を用いても判別が困難であるという[31]。
指紋の転義
指の模様以外でも、デジタルの世界で「個人を特定する要素」を指して、指紋という単語が使われることがある。Cookieや位置情報、ブラウザ情報やスマートフォンなどの端末情報などが該当する[32][33][34]。
日本語では、この個人を追跡するデジタル情報について、実際の指紋と区別するため、英語で指紋を意味する単語を用いて「フィンガープリント」と呼ぶ事もある[33]。
脚注
参考文献
関連書籍
関連項目
外部リンク
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