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抽象化

思考における手法のひとつ ウィキペディアから

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抽象化(ちゅうしょうか、英:Abstraction)は、具体的な例・シニフィアン第一原理などから規則概念を一般化する営み。抽象化によって得られる抽象的な規則や概念は、それが示す存在すべてに通用する普通名詞のように働き、関連する概念をグループ・領域・カテゴリーとして結びつける。[1]

抽象や抽象度は、アルフレッド・コージブスキーによって創始された一般意味論の理論で重要な役割を果たす。アナトール・ラパポートは「抽象化とは、無限に多様な経験を短い音(言葉)に写像するメカニズムである」[2]と書いた。抽象は、ある概念や観察可能な現象情報内容をふるいにかけ、特定の目的に関係する側面だけを選び出すことで構成できる。たとえば、サッカーボールをより一般的な「ボール」という概念へ抽象することは、ボール一般の属性や挙動に関する情報だけを取り出し、その特定のボールの他の現象的・認知的特性は除外(ただし抹消ではない)するということである。[1]タイプとトークンの区別では、タイプ(例:「ball」)は、そのトークン(例:「あの革のサッカーボール」)より抽象的である。

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起源

抽象的に思考することは、文化人類学者・考古学者・社会学者によって現生人類の行動の主要特性の一つと見なされ[3]、5万〜10万年前のあいだに発達したと考えられている。その発達は、(話し言葉であれ書き言葉であれ)人間の言語発達と密接に結びついているとみられ、言語は抽象的思考を含み、かつ促進するように思われる。フリードリヒ・マックス・ミュラーは、比喩と抽象の相互関係が思考と言語の発達において重要だと示唆した。[4]

歴史

抽象化は、帰納あるいは、個別の事実を一般理論に総合することを含む。その反対としての具体化は、抽象概念を具体的事実に変換することである。抽象化の言葉は、イングランドの後期ジャコビアン時代フランシス・ベーコンによって書かれた『ノヴム・オルガヌム』(1620)に説明され[5]、この書は一般化の前の具体的事実の収集を促した。

西洋の知的世界は古代ギリシア時代から演繹法に支配されてきたが、ベーコンは古代の演繹法とは相補的でありつつも異なっている、帰納法を推奨した。[6]

近世初期の科学者たちは、収集された個別事実から一つの一般観念へと至る、帰納的抽象化の手法を用いた。アイザック・ニュートン(1642–1727)は、ニコラウス・コペルニクス(1473–1543)の太陽中心説をもとに惑星の運動を導き、ヨハネス・ケプラー(1571–1630)は、何千もの観察結果を経て、火星太陽の周りを楕円軌道で運動するとの結論に至った。ガリレオ・ガリレイ(1564–1642)は、観察から落体の法則を導いた。

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抽象化の様々な側面

要約
視点

圧縮

抽象は圧縮の過程と見なすことができる。[7]すなわち、多くの異なる構成データを、構成データ間の類似性にもとづいて、一つの抽象データへと写像する。[8]たとえば、多様な物理的な猫が抽象的「猫」へ写像される。この枠組みは構成要素情報と抽象情報の同等性を強調し、抽象と具体の区別から生じる問題を回避する。抽象化は、具体的対象間の類似の同定と、それらを抽象概念に関連づける作業を伴う。

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たとえば、右の写真は、猫がマットの上に座っている、という関係を示す。抽象化の連鎖としては[9]、感覚知覚から生じる神経信号、色や形といった基礎的抽象、特定の猫といった経験的抽象、さらに猫の概念という意味的抽象、そして「哺乳類」のようなクラス、さらには「対象」と「作用」といったカテゴリーへと進む。

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この猫の写真は、「行為主体が場所に座っている」という抽象的な表現もできる。この表現だと、猫や哺乳類といったものさえ捨象されている。

例化

ある特定の時空間に存在しないものは、しばしば抽象的と見なされる。これに対し、そのような抽象的なものの例化(具体例として現れるもの)は、多くの異なる場所と時間に存在しうる。

抽象的なものは、多重に例化することができる場合がある。しかし、例化できるものを抽象概念と定義し、抽象化を例化の逆方向と定義するのは十分ではない。そうすると、見かけがさまざまであっても、特定の猫や特定の電話機が「猫」や「電話」という概念の例であるという理由で、「猫」や「電話」の概念が抽象的観念になってしまうからである。

考え方によっては、トロープ英語版を抽象的個物と呼ぶ。たとえば、ある特定のリンゴの特定のさはトロープである。これはクオリアや偶有的性質に類似する。

物理的過程

貨幣という抽象概念は、様々なものをそれぞれに固有の価値から引き離すことによって、比較不能な諸物を比較可能にする。

国家の概念について言えば、「国家の今日の概念は、君主の身分やその財産という近世初期の具体的な国家から抽象化されたもの」である。そして、「国家性の実践は、かつて諸侯が拡張された権力の体現として統治していた時代に比べて、本質的・物質的により抽象的になっている」。[10]

存在論的地位

岩や木のような物理的対象の存在は、抽象概念である性質関係の存在様式と異なる。この差異は、抽象という語の存在論的有用性を説明する。もし抽象的な存在が存在するなら、性質や関係は時空の中に存在しないが、その例化としての個物は、多くの異なる場所と時間に存在しうる。

物質的抽象物

ある物理的対象(概念や語の指示対象になりうるもの)は、特定の場所と時間を占める個物であるかぎり、具体的と見なされる。しかし時として物理的存在が抽象化のための道具となる。たとえば、古代メソポタミアの記録補助具には、計算具(粘土の球・円錐など)が含まれ、容器に入れて家畜穀物の数量を表した。シュマンド・ベセラト(1981)によれば、これらの粘土容器にはトークンが入っており、その合計が移送される物の数量を表していた。容器は船荷証券や会計台帳のように機能した。容器を割って数え直すことを避けるため、容器の外側に刻印が施された。これらの刻印は、数という抽象的概念を用いて意味伝達する物質的抽象物として機能していたのである。[11][12]

抽象的なものは、ときに「現実には存在しないもの」や、感覚経験(たとえば赤のような)としてのみ存在するものと定義されることがある。しかしこの定義は、何が現実に存在するかの判断(何が「実在」か)に困難を伴う。たとえば、神、数の3、善のような概念が実在なのか、抽象なのか、あるいは両方なのかについて合意するのは難しい。

この困難に対処する一つのアプローチは、述語を、対象が実在・抽象・具体であるか、あるいは特定の性質(例:善い)をもつかどうかの一般的な語として用いることである。すると、事物の性質に関する問いは述語に関する命題となり、その命題は研究者によって評価されることになる。グラフ表現では、箱や楕円を結ぶ矢印のような図式的関係が述語を表すことがある。

参照と指示

抽象概念は、ときに曖昧な意味をもつ。たとえば「幸福」は、ポジティブな感情経験を意味することもあれば、人生への満足や主観的幸福感を指すこともある。同様に「建築」は、安全で機能的な建築の設計だけでなく、優雅な解法を追求する創造と革新の要素、空間の使い方、そして建築者・所有者・鑑賞者・利用者に情動的反応を喚起しようとする試みも含意する。さらに、複雑なソフトウェアシステムを実装するためのコンピュータ・コードの構成・設計も指す。

単純化と順序づけ

抽象は、具体物が持っていた詳細を曖昧・不明確・未定義にする側面がある。抽象的対象について効果的に伝達するには、送り手と受け手の間に直観ないし共通経験が必要である。これは、すべての言語的・抽象的コミュニケーションに当てはまる。

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たとえば、多くのものが赤でありうる。同様に、多くのものが何かの表面の上に座る)。このとき、赤さという性質や、「~の上に座る」という関係は、抽象物である。右のグラフは3つの箱と2つの楕円、4本の矢印(とそれらの5つのラベル)だけを記載しているが、猫の写真はより多くの視覚的詳細を示し、そこに含意される多数の関係は暗黙であって、グラフが示している明示的情報とは対照的である。

このグラフは、写真の対象間の明示的関係を示している。たとえば、AgentとCAT:Elsie(Elsie(エルジー)は猫の名前)を結ぶ矢印はis-a関係の例であり、LocationとMATを結ぶ矢印も同様である。動名SITTINGと、Agent・Locationの間の矢印は、この図の基本的関係「AgentはMATの上にsittingだ」を表す。Elsie(エルジー)は猫の例化である。[13]

「~の上に座っている」という記述は、「猫がマットに座っている」という写真より抽象的だが、抽象と具体の線引きはやや曖昧であり、この曖昧さ(あるいは不明瞭さ)は抽象の性格そのものである。したがって、新聞のように単純に見えるものでも、ダグラス・ホフスタッターの『ゲーデル、エッシャー、バッハ』(1979)にある例のように、抽象から具体への6段階で特定できる。[14]

  1. 出版物
  2. 新聞
  3. サンフランシスコ・クロニクル
  4. サンフランシスコ・クロニクルの5月18日号
  5. 私のサンフランシスコ・クロニクル5月18日号
  6. 私がそれを初めて手に取ったときの 私のサンフランシスコ・クロニクル5月18日号(数日後、私の部屋の暖炉で燃えていたときのサンフランシスコ・クロニクル5月18日号と比べた時)

このように、抽象は一般性を損なうことなく、これら各段階の詳細を包摂できる。もっとも、探偵や哲学者・科学者・技術者なら、犯罪や難問を解くために、より深い具体水準で知ろうとするだろう。

思考過程

哲学的術語では、抽象化とは、観念が対象から離れているときの思考過程である。しかし、観念は記号化しうる。[15]

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関連項目

脚注

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