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撫養町

日本の徳島県板野郡にあった町 ウィキペディアから

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撫養町(むやちょう)は、かつて徳島県板野郡にあった。現在の鳴門市撫養町(木津南浜斎田黒崎小桑島大桑島岡崎弁財天北浜林崎立岩)。古くより鳴門の中心的市街地。

概要 むやちょう 撫養町, 廃止日 ...

1889年の町村制実施時に徳島県内で「町」だった2つの自治体のひとつ(もうひとつは脇町)。

歴史

近畿と交通の便がよかったことから奈良時代平安時代から開けていた[1]。天平5年(733年)完成の風土記のものとされる逸文に「むや」の記述があり、これが史料として最も古い[1]。『土佐日記』には「牟野 (むや)」とされている。室町時代には三好氏城下町だったが、天正13年(1585年)に蜂須賀家政阿波九城の一つ岡崎城(撫養城)を築いてから淡路渡海の押えの地として特に発展した[2]江戸時代は「斎田塩」の製塩業、塩・などの積み出し港として栄えた[2]。四国の門戸として、日本各地から廻船が集まり、全国でも有数の港町だったが、港口付近に暗礁が多く、大型船の航行に支障があったため、昭和に入ると次第に港町としての機能は衰えていった[1]。また1934年(昭和9年)の室戸台風の暴風雨により、塩田が全滅する大打撃を受けた[3]

沿革

参考文献

脚注

関連項目

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