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斯麻宿禰

古墳時代の人物 ウィキペディアから

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斯麻宿禰(しま の すくね)は、4世紀(『日本書紀』神功皇后紀の記述をそのまま換算すると3世紀の人間であるが、本居宣長などによって神功皇后紀は120年繰り上がっていると指摘されている)に実在したとされる倭人である。

概要

斯麻宿禰は、『日本書紀』神功皇后紀46年春3月乙亥朔条にのみ登場する。同条「斯麻宿禰者,不知何姓人也。」と記されており、出自は不明である。田中俊明は、斯麻宿禰は『百済記』に記された人物であったと推察している[1]

神功皇后46年に、斯麻宿禰は神功によって卓淳国に派遣された。その卓淳国の王は、斯麻宿禰に「2年前の甲子年(神功44年)に、百済の遣いの久氐等3人が来て、百済王(肖古王あるいは近肖古王)が倭国に朝貢したいが、道を知らないため、もし倭国の使人が来たら知らせてほしいと言われている」と伝えたため、斯麻宿禰は自身の従者である爾波移と卓淳人の過古の2人を百済に派遣し、百済王はおおいに悦び珍宝を奉り、斯麻宿禰と従者はそれを持って倭に帰還した[2]

仁藤敦史は、職麻那那加比跪を「しまななかひこ」とし、斯麻宿禰と同一人物であると主張した[3]

脚注

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