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新沢千塚古墳群
奈良県橿原市にある古墳群 ウィキペディアから
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新沢千塚古墳群(にいざわせんづかこふんぐん)は、奈良県橿原市北越智町・川西町にある古墳群(群集墳)。国の史跡に指定され、126号墳出土品は国の重要文化財に指定されている。
概要

奈良盆地の南部にある畝傍山の南方に広がる東西2キロメートル、南北約2キロメートル余りの丘陵(越智岡丘陵、標高約150メートル)に位置する、径約10〜15メートルの円墳など総数600基以上の一群の墳墓(群集墳)である。これらの墳墓は4世紀末から7世紀にかけて造営され、特に5世紀半ばから6世紀末まで盛んに作られた。「川西(かわにし)千塚」「鳥屋(とりや)千塚」とも呼ばれた。この古墳群の氏族ないし埋葬者は特定されていない。
発掘調査は1947年(昭和22年)に始まり、1962年(昭和37年)には本格的調査が実施された。このとき粘土槨を内部主体とする500号墳(前方後円墳)を含む23基の古墳が発掘された。500号墳では古墳時代前期に類する副葬品が検出され、その中には懸垂鏡といわれる珍しい銅鏡が含まれていた。その後史跡にも指定されている。
1960年代に同志社大学などにより調査が行われ、約130基が調査された。武具・馬具をはじめとして副葬品は豊富に出土したが、5世紀後半の126号墳[1]からは金・銀・ガラス・ヒスイを用いた大量の装飾品が遺骨に装着したままの状態で出土[2]し、また火熨斗(ひのし、炭を入れてアイロンとして使用した金属器)が日本で初めて出土したり、中国を経由せず西域から新羅経由でもたらされたと見られる[要出典]ローマンガラス製品が出土したりするなど、全国的に大きな話題となった。2014年(平成26年)には出土品のガラス皿について、化学組成がローマ帝国領内で出土したローマ・ガラスとほぼ一致することが東京理科大学の阿部善也らの蛍光X線分析で判明した。これは日本国内の古墳出土品のガラス器がローマ帝国伝来と裏付けられた初めての例である[3]。
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公園整備

2012年(平成24年)から「新沢千塚古墳群公園整備事業」が行われており2018年(平成30年)現在、進行中[4]。北側の北群公園と南側の南群公園に分かれており、それぞれ園路や広場、展望台、遊具、ビオトープ、カフェなどが整備されている。
公園内施設
- 歴史に憩う橿原市博物館
- シルクの杜
- 新沢千塚ふれあいの里
- OTENKIテラス
ギャラリー
墳丘
- 48号墳
- 81号墳
- 109号墳
- 115号墳
- 126号墳
- 137号墳
- 139号墳
甲冑
- 109号墳 横矧板鋲留短甲
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館展示(他画像も同様)。 - 115号墳 横矧板鋲留衝角付冑
- 115号墳 三角板鋲留短甲
- 115号墳 頸甲・肩甲
- 139号墳 小札鋲留眉庇付冑
- 139号墳 頸甲・肩甲
- 139号墳 三角板革綴短甲
- 173号墳 横矧板鋲留短甲
- 281号墳出土 小札鋲留衝角付冑
- 281号墳 横矧板鋲留短甲
- 508号墳 長方板三角板併用革綴短甲
- 510号墳 横矧板鋲留短甲
文化財
重要文化財(国指定)
国の重要文化財「大和新沢千塚一二六号墳出土品」の明細
- 銅鏡 1面
- 銅熨斗 1箇
- ガラス切子碗 1口
- ガラス皿 1枚
- 金製方形板 1箇
- 金製垂飾付耳飾 1対
- 金製螺旋状垂飾 1対
- 金製歩揺 残欠共 一括
- 金製腕輪 1箇
- 銀製腕輪 2箇
- 金製指環 5箇
- 銀製指環 残欠共 19箇
- 玉類
- 硬玉勾玉 4箇
- 滑石勾玉 1箇
- 滑石臼玉 残欠共 一括
- 金箔入ガラス玉 1箇
- ガラス雁木玉 2箇
- ガラス丸玉 8箇
- ガラス小玉 残欠共 一括
- 金製空玉 2箇
- 銀製空玉 残欠共 32箇
- 刀身 残欠共 3口
- 銙帯金具残欠 一括
- 126号墳出土 金製方形板・金製垂飾付耳飾
東京国立博物館展示。 - 126号墳出土 玉類
東京国立博物館展示。 - 126号墳その他出土品
東京国立博物館展示。
国の史跡
- 新沢千塚古墳群 - 1976年(昭和51年)3月31日指定[6]。
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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