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日根野若狭守
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日根野 若狭守(ひねの わかさのかみ)は、戦国時代に和泉国で活動した武士。
概要
古井氏(中氏)に伝わる「家記」や「先代考拠略」によると、若狭守は又左衛門とも呼ばれた日根野村・湊村の「土民」で、古来からの感状・御教書が夥しく現存していた。日根郡近辺の土豪による一揆(三十六人党)の中では最も「分限者」であったとされ、3万7000石を領有していたものの、子孫は滅びたり他国に移住したりしていたという。また、 大井関明神(日根神社)の神職も務めていた[1]。「泉邦四県石高寺社旧跡幷地侍伝」には「日根野若狭守、本地日根郡之内過半、神職武職兼帯、其子神職を捨、信長公に被召出」とあり、「日根法印」(日根野弘就)の父とされている[2][3][4]。「日根法印」は尾張国丹羽郡時之島城や、織田平七郎(織田勝久の子)とともに尾張国丹羽郡小口村(小口城)に住んでいたという[5][6][7]。
脚注
関連項目
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