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丹羽郡
愛知県(尾張国)の郡 ウィキペディアから
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人口58,151人、面積24.8km²、人口密度2,345人/km²。(2025年6月1日、推計人口)
以下の2町を含む。
郡域
歴史
要約
視点
郡名の由来
地名は飛鳥時代以前から見え、古くは「迩波」「尓破」「尓波」「邇波」など様々な表記がされた。語源については、「丹(に)」の一字で「赤土・粘土」を意味するという説がある。
古代
『先代旧事本紀』によれば、大化の改新以前は邇波県(にわのあがた)が置かれており、邇波県主が支配する地域であったらしい。7世紀後半の評制下では、邇波県を継承したと推定される尓破評(にわのこおり)が設置されていた。奈良県明日香村の石神遺跡からは「尓破評佐匹部」と書かれた木簡が見つかっている[1]。その後701年の大宝律令の制定により評が郡となり、丹羽郡が成立した。奈良期の文献では「丹羽郡」「丹波郡」「尓波郡」など表記に揺れがある。平安中期成立の『延喜式』や『和名類聚抄』では「丹羽郡」と表記しており[2]、この頃までには「丹羽郡」という表記が定着していたようである。
郷
平安中期成立の『和名類聚抄』に「丹羽郡」の郷として掲載されているのは以下の通り[3]。
- 吾鬘(あずら)
- 稻木(いなき)
- 上春(かみはる)
- 丹羽(にわ)
- 穗積(ほづみ)
- 大桑(おおくわ)
- 下沼(しもつぬ)
- 上沼(かみつぬ)
- 前刀(さきと)
- 小弓(おゆみ)
- 小野(おの)
- 小口(おぐち)
式内社
近世以降の沿革
- 明治4年
- 明治5年
- 明治初年 - 重吉村新田が重吉村に合併(131村)
- 明治8年(1875年) - 岩手村・北山名村が合併して山那村となる。(130村)
- 明治11年(1878年)12月20日 - 郡区町村編制法の愛知県での施行により、行政区画としての丹羽郡が発足。「丹羽葉栗郡役所」が小折村に設置され、葉栗郡とともに管轄。同年、以下の各村の統合等が行われる。(106村)
- 学伝村 ← 楽田村、楽田入鹿原新田、楽田新田、二之宮村
- 高雄村 ← 下野原新田、羽根村、下野村
- 両高屋村 ← 高屋村、北高屋村
- 秋田村 ← 伝右衛門新田、八左衛門新田、長桜村、宗雲新田、長桜替地新田
- 豊田村 ← 三右衛門新田、又助新田、九郎右衛門新田、御供所村、小折田郷新田、小折田新田
- 加茂村 ← 花地村、熊代村
- 春明村 ← 下奈良村、下奈良村酉新田
- 前原村 ← 前原新田、南野新田
- 池野村 ← 富士村、入鹿神尾新田、奥入鹿村、安楽寺村
- 清右衛門新田が小口村に、丸山新田が稲置村に、橋爪新田が五郎丸村に、十吉新田が羽黒村にそれぞれ合併。
- 羽根村が改称して浅野羽根村となる。
- 小折村の一部が分立して布袋野村となる。
町村制以降の沿革
町村制施行時の1町37村
- 犬山町(稲置村が単独町制。現・犬山市)
- 小折村 ← 小折村、五明村、曽本村、布袋野村(現・江南市)
- 秋津村 ← 寄木村、安良村、山王村、北野村、石枕村、尾崎村、今市場村、力長村、東大海道村(現・江南市)
- 太田村 ← 豊田村、秋田村、大屋敷村(現・大口町)
- 小口村 ← 小口村、余野村(現・大口町)
- 富成村 ← 河北村、外坪村(現・大口町)
- 楽田村(学伝村が単独村制。現・犬山市)
- 羽黒村 ← 羽黒村、羽黒新田(現・犬山市)
- 岩田村 ← 前原村、塔ノ地村(現・犬山市)
- 今井村 ← 今井村、池野村(現・犬山市)
- 善師野村 ← 富岡村、善師野村、栗栖村、継鹿尾村(現・犬山市)
- 岩橋村 ← 橋爪村、五郎丸村(現・犬山市)
- 高雄村 ← 高雄村(現・扶桑町)、木津村、上野村(現・犬山市)
- 山名村 ← 山那村、南山名村(現・扶桑町)
- 和勝村 ← 和田勝佐村、中般若村、下般若村(現・江南市)
- 豊国村 ← 斎藤村、高木村(現・扶桑町)
- 柏森村(単独村制。現・扶桑町)
- 旭村 ← 宮後村、山尻村、前野村、江森村(現・江南市)
- 両高屋村、古知野村(それぞれ単独村制。現・江南市)
- 栄村 ← 木賀村、赤童子村、中奈良村(現・江南市)
- 東野村(単独村制。現・江南市)
- 豊原村 ← 瀬部村(現・一宮市)、島宮村、上奈良村(現・江南市)
- 時之島村(単独村制。現・一宮市)
- 赤羽村 ← 大赤見村、丹羽村、柚木颪村、小赤見村(現・一宮市)
- 穂波村 ← 西大海道村、春明村、定水寺村(現・一宮市)
- 浮野村 ← 一色村、浮野村、加茂村、勝栗村(現・一宮市)
- 青木村 ← 佐野村、天摩村、穂積塚本村(現・一宮市)
- 浅淵村 ← 浅野村、南小淵村、北小淵村(現・一宮市)
- 多加森村 ← 猿海道村、多加木村、森本村、馬見塚村、吾鬘村(現・一宮市)
- 三重島村 ← 三ツ井村、外崎村、重吉村、平島村(現・一宮市)
- 九日市場村(単独村制。現・一宮市)
- 二川村 ← 伝法寺村、五日市場村(現・一宮市)
- 島野村 ← 北島村、野寄村(現・岩倉市)
- 豊秋村 ← 大地村、曽野村、岩倉羽根村、大山寺村、川井村(現・岩倉市)
- 岩倉村(単独村制。現・岩倉市)
- 豊富村 ← 町屋村、小山村、塩尻村、浅野羽根村(現・一宮市)
- 幼村 ← 石仏村、神野村、八剱村、井上村(現・岩倉市)、加納馬場村、芝原村(現・一宮市)

- 明治23年(1890年)10月6日 - 今井村が分割し、池野村・今井村がそれぞれ発足。(1町38村)
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治25年(1892年)4月18日 - 岩倉村が町制施行して岩倉町となる。(2町37村)
- 明治26年(1893年)11月18日 - 豊原村の一部(島宮・上奈良)が東野村に編入。
- 明治27年(1894年)11月26日 - 小折村が町制施行・改称して布袋町となる。(3町36村)
- 明治28年(1895年)8月19日 - 小口村の一部(余野)が柏森村に編入。
- 明治29年(1896年)
- 明治39年(1906年)
- 明治40年(1907年)- 丹陽村の一部(大字馬見塚)が西成村に編入。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和15年(1940年)9月20日 - 西成村が一宮市に編入。(4町8村)
- 昭和27年(1952年)8月1日 - 扶桑村が町制施行して扶桑町となる。(5町7村)
- 昭和29年(1954年)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和37年(1962年)4月1日 - 大口村が町制施行して大口町となる。(3町)
- 昭和46年(1971年)12月1日 - 岩倉町が市制施行して岩倉市が発足し、郡より離脱。(2町)
変遷表
自治体の変遷
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行政
- 丹羽・葉栗郡長
脚注
参考文献
関連文献
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