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春風亭柳枝 (7代目)

日本の落語家 (1893-1941) ウィキペディアから

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七代目 春風亭 柳枝(しゅんぷうてい りゅうし、1893年明治26年〉9月 - 1941年昭和16年〉1月14日)は、東京府出身の落語家。本名∶渡辺 金太郎。本所裏沢町の裏長屋に住んでいた。

概要 本名, 別名 ...
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経歴

1893年、旧東京府(現在の東京都)に生まれる。落語家になる前は茶番師をしていたとも、太神楽師をしていたとも、ドサ廻りの役者をしていたともされる。

1909年明治43年)4月、5代目柳亭左楽に入門し、左太郎を名乗る。1916年1917年大正5~6年)頃には福楽、1918年(大正7年)には楓枝を名乗った。1920年(大正9年)12月、雷門志ん橋雷門三升六代目春風亭梅枝二代目柳亭痴楽九代目司馬龍生三遊亭圓都春風やなぎと共に真打に昇進し、2代目柳亭痴楽を襲名する。1927年昭和2年)11月に5代目柳亭芝楽を襲名し、1934年(昭和9年)11月には7代目春風亭柳枝を襲名した。

丸顔で出っ歯の愛敬ある顔立ちで、噺の合間に「エヘヘ」というフレーズを織り交ぜることから「エヘヘの柳枝」と呼ばれた。歌い調子のリズミカルな口調で滑稽噺を得意とし、レコード吹き込みも多く、将来を嘱望されていたが、病気のため49歳の若さで死去した。墓所は四谷西応寺。戒名は「東膠院釈柳枝居士」。

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人物

出典

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