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昭和橋 (気仙川)
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歴史
岩手県住田町世田米にあり、もともとは木橋が架かっていた[2]。
1933年(昭和8年)にコンクリート製の橋(上部工形式RCT桁、橋長72.94 m、全幅員4.00 m)が完成し、世田米の駅地区と川向地区を結ぶ生活道路の一部となった[1][2]。
1945年(昭和20年)8月9日、釜石市を爆撃した米軍機が飛来して銃撃を受け、上流側欄干に直径約10cmの銃弾痕が残された[2]。
世田米商店街と住田町役場などがある川向地区をつなぐ橋として、約90年にわたり使用されたが、気仙川流域はしばしば大雨、豪雨の洪水による浸水被害を受けており、昭和橋の径間長は9.1mで流木等が引っかかって堰き止められやすく、橋桁も洪水時には水面下に潜る状態になるとみられ、基準径間長及び橋桁の余裕の不足が指摘された[3]。そのため岩手県は架け替えを決め、地元住民の意向で親柱と銃弾痕の部分を残すことになった[2]。
2022年(令和4年)11月から橋の解体が始まり[4]、翌年2023年1月には解体工事が完了した[5]。橋の完成までの間は下流側に歩行者迂回用の仮橋が架けられる[6]。新しい橋は2026年3月完成予定である[2]。
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脚注
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