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暦仁

日本の元号 ウィキペディアから

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暦仁(りゃくにん、旧字体曆仁)は、日本元号の一つ。嘉禎の後、延応の前。ユリウス暦で1238年から1239年の期間を指す。この時代の天皇四条天皇鎌倉幕府将軍は藤原頼経執権北条泰時

日本の元号の中では最も使用日数が短く、約2か月半しか使用されなかったが、年を跨いでいるので2年まである。

元年のみの元号は朱鳥(約6か月、686年~687年)と天平感宝(約3か月、749年)。

改元

撰進者は藤原経範であるが、『百錬抄』によれば、世間では「暦仁=略人」すなわち、この世から人々が略される(=死んで消えてしまう)とする風評が発生したために再び改元を実施したとある(ただし、詔書では「変災」を理由としている)[1]

出典

隋書」(音楽志下)の「皇明馭海県」より。

暦仁期におきた出来事

元年

西暦との対照表

※は小の月を示す。

さらに見る 暦仁元年(戊戌), 一月※ ...

脚注

関連項目

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