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最上満氏
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最上 満氏(もがみ みつうじ)は、出羽国の戦国大名、羽州探題最上氏の第7代当主。
出羽中野氏の初代当主で中野城主、中野満基の子(最上義秋の子ともされる)に生まれたが、宗家の従兄・義秋に子がなかったため、文明11年(1479年)に最上氏を継いだ。
文明11年(1479年)及び翌文明12年(1480年)に、伊達成宗配下の桑折播磨守が寒河江氏を攻めるが、敗北し討ち死にする(菖蒲沼の戦い)。播磨守の子息は満氏を介して戦場の見える慈恩寺山中に松蔵寺を建立して供養したという[3]。
明応3年(1494年)に死去。なお生年には諸説ある。
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脚注
周辺系図
参考文献
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