トップQs
タイムライン
チャット
視点

服部於田

ウィキペディアから

Remove ads

服部 於田(はとりべ の うえだ、生没年不詳)は、奈良時代防人。元暦校本の朱筆から名を於由(おゆ)とする説もある[1]。妻は服部呰女で『万葉集』20巻の4422番に歌がのる[2][3]

経歴・人物

武蔵国都筑郡の人物。天平勝宝7歳(755年)2月、防人として筑紫に派遣された際、妻を思い詠んだ歌が『万葉集』に1首入集[4]

子孫

大山街道荏田宿大工の家に出生した天学教教祖・服部国光が末裔を自称した。

  • 我が行きの 息づくしかば 足柄の 峰這ほ雲を 見とと偲はね[4]

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads