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木下宇三郎
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木下 宇三郎(きのした うさぶろう、1865年11月15日〈慶応元年9月27日[1][2]〉- 1946年〈昭和21年〉1月27日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[1][3]。
経歴
肥後国菊池郡、現在の熊本県[注釈 1]菊池市[4]で木下居中の長男として生まれ、1903年(明治36年)1月に家督を相続した[1][5]。
1887年(明治20年)7月、陸軍士官学校旧9期を卒業し、陸軍砲兵少尉に任官[2][3]。1892年(明治25年)12月、陸軍大学校(11期)に入学したが、日清戦争勃発のため退学し出征[6]。1896年(明治29年)2月に復学し、1897年(明治30年)12月に卒業し参謀本部に配属された[6]。日露戦争では第1軍作戦参謀として出征し、満洲軍が創設されると帰国し大本営陸軍部参謀を務めた[2]。
以後、関東都督府参謀などを経て、1907年(明治40年)11月、砲兵大佐に進み陸軍野戦砲兵射撃学校長に就任[3]。野砲兵第24連隊長、第12師団参謀長を経て、1913年(大正2年)7月、陸軍少将に昇進し台湾総督府陸軍部参謀長となる[2][3]。
野戦砲兵第2旅団長、陸軍砲工学校長、野砲兵監、教育総監部附を経て、 1917年(大正6年)8月、陸軍中将に進み第12師団長に親補された[1][2][3]。1921年(大正10年)7月、予備役に編入された[2][3]。
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親族
脚注
参考文献
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