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木原義雄
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木原 義雄(きはら よしお、1894年(明治27年)8月7日[1] - 1975年(昭和50年)5月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
1894年(明治27年)に山口県で生まれた[1]。陸軍士官学校第27期卒業[3]。1939年(昭和14年)8月に独立守備歩兵第13大隊長に就任し[2]、1940年(昭和15年)3月9日に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。同年8月1日に歩兵第34連隊長(第11軍・第3師団・歩兵第29旅団)に転じ[2]、日中戦争に出動[1][3]。1941年(昭和16年)8月に陸軍士官学校留学生隊長に就任し[2]、1943年(昭和18年)3月には東部軍司令部附となり[2]、慶応義塾大学に配属された[2]。
1944年(昭和19年)12月16日に独立混成第65旅団長(東部軍)に就任し[2]、伊豆大島の守備に任じ[3]、1945年(昭和20年)3月1日に陸軍少将に進級した[2]。同年6月10日に第321師団司令部附となり[4]、7月5日に独立混成第67旅団長(第1総軍・第12方面軍)に就任し[1]、八丈島で米軍の上陸に備えた[3]。
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脚注
参考文献
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