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末広座 (名古屋市)

かつて愛知県名古屋にあった芝居小屋 ウィキペディアから

末広座 (名古屋市)
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末広座(すえひろざ)は、かつて愛知県名古屋市中区末広町にあった芝居小屋[1][2]

概要 末広座 Suehiro-za, 情報 ...

元禄享保年間頃に開設され、その後何度か改築された。名古屋では最古参の劇場とされる[3]、1872年(明治5年)4月に末広座と改称し[4][5]、1897年(明治30年)3月1日には名古屋における最初の活動写真興行が行われた。その後松竹が買収して改造し、1927年(昭和2年)11月15日に名古屋松竹座として新装開館した[6]

歴史

末広座(1872年~1927年頃)

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末広座の辻番付チラシの歌舞伎のイラスト(1921年6月)

当初は名古屋城下若宮八幡宮の境内で営業していたが、天保年間(1830年~1844年)の中頃に隣接地に移転した[1]

明治時代の名古屋には、南桑名町の千歳座[1]本重町の新守座[1]南伏見町の音羽座[1]大須の宝生座[3]御園座[1]などが存在していた[7]。劇場の名称は変遷を経ており、1872年(明治5年)4月に末広座[4][5]、1877年(明治10年)愛栄座、1882年(明治15年)に末広座に再改称されたとする[8]

劇場のある末広町で生まれ、末広座の子役として活躍した人物に、のちに著名な俳優となった6代目中村傳九郎がいる。また、7代目市川中車7代目市川團吾は、1909年(明治42年)5月に末広座において共演し、3代目中村時蔵は1917年(大正6年)5月に出演している。

1890年(明治23年)7月1日には第1回衆議院議員総選挙が行われたが、選挙期間中には連日のように末広座、新守座、千歳座などで演説会が催された[9]。1912年(大正元年)12月21日、末広座が改築されて開場式が行われた[10]。1926年(大正15年)2月20日、末広座で名古屋音楽協会の発会式が行われた[11]。初代会長は名古屋市長の田阪千助である[11]

名古屋初の活動写真興行

1896年(明治29年)、アメリカの発明家チャールズ・フランシス・ジェンキンスとトーマス・アーマットが開発したファントスコープをトーマス・エジソンヴァイタスコープとして商品化すると、翌1897年(明治30年)1月、大阪心斎橋で雑貨商を営んだ荒木和一によって荒木系ヴァイタスコープの興行が始まり、末広座では同年3月1日から14日まで開催。これが名古屋における最初の活動写真興行とされている[12]

松竹座(1927年~1945年)

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松竹座の建物

この建物は、歌舞伎に深いつながりのある松竹に買収され、1927年(昭和2年)11月15日に名古屋松竹座として新装開館した[6]。しかし、太平洋戦争中の名古屋大空襲によって破壊された[12]

戦後の跡地

戦後には末広座/松竹座の跡地を古川為三郎率いるヘラルドグループが取得し、1964年(昭和39年)12月25日、中日シネラマ会館(後のヘラルドシネプラザ)が開館した[13]。2004年(平成16年)2月22日に完全閉館するまで、映画館とレジャー施設を擁する商業ビルとして親しまれた[14]。2019年(平成31年)2月19日、ヘラルドシネプラザ跡地に高層マンションの栄タワーヒルズが竣工した。

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脚注

外部リンク

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