トップQs
タイムライン
チャット
視点

本多忠

ウィキペディアから

Remove ads

本多 忠(ほんだ ただし、1951年9月19日 - )は、日本競泳選手。専門は背泳ぎ山口県出身[1]

概要 本多 忠, 国籍 ...

経歴

尾道高等学校時代、全国高等学校総合体育大会水泳競技大会で優勝している[2]。高校卒業後は広島商科大学(現広島修道大学)に進学、日本学生選手権水泳競技大会の100m、200m背泳ぎで2年連続優勝している[3]。大学卒業後はフジタに入社し競技を続けた[4]

1972年のミュンヘンオリンピックでは100m背泳ぎで8位、200m背泳ぎは予選敗退、田口信教駒崎康弘佐々木二郎との400mメドレーリレーで6位となった[5]

1976年のモントリオールオリンピックでは100m背泳ぎで予選落ち、田口信教・原秀章柳館毅とのメドレーリレーで8位となった。

アジア競技大会では1970年1974年の100m背泳ぎ、200m背泳ぎでそれぞれ金メダルを獲得している。

日本選手権水泳競技大会の100m背泳ぎで1969年、1972年、1974年に優勝[4]、200m背泳ぎで1972年に優勝している[6]

現役引退後はNASスイミングクラブで指導を行っている[7]

1996年のアトランタオリンピックでは日本代表のコーチを務めた[8]

現在は、シンガポールに住んでビッグウェーブスイミングスクールという子供用の水泳部のコーチとして働いていた。

尚、2021年3月以降、コロナウイルスの影響によって、ビッグウェーブスイミングスクールは営業を停止している。

Remove ads

脚注

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads