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本多政武
大和国高取藩の第2代藩主 ウィキペディアから
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本多 政武(ほんだ まさたけ)は、江戸時代前期の大名。大和国高取藩の第2代藩主。
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生涯
慶長3年(1598年)、初代藩主・俊政の長男として生まれる。
慶長15年(1610年)、父の死去により家督を継ぎ、大和国高取城主として2万5千石(または2万7千石とも)を領した[1]。
慶長19年(1614年)からの大坂の陣では徳川方に与し、翌年の夏の陣では道明寺口の戦いで武功を挙げた[2]。囲碁の名人でもあり、慶長15年(1610年)には囲碁本因坊戦で勝利している。また、大坂城修築工事や高野山大塔造営奉行などで活躍した。寛永9年(1632年)には徳川秀忠の遺物である銀300枚を拝領している[2]。
寛永14年(1637年)7月13日に死去した。享年40。嗣子がなかったため、高取藩本多家は無嗣改易となった[1][2]。
脚注
参考文献
外部リンク
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