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本間茂雄

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本間 茂雄(ほんま しげお、1904年明治37年)4月19日 - 1974年昭和49年)11月3日[1])は、日本体操競技選手、指導者で、体育学者。 1932年ロサンゼルスオリンピック日本代表で、日本では最初の体操競技オリンピック選手の一人である。

概要 個人情報, 国籍 ...

経歴・人物

新潟県佐渡島出身[1]。旧畑野町(現・佐渡市)の畑野尋常小学校から東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区牛込)の牛込尋常小学校高等科(現在の新宿区立牛込仲之小学校)、府立四中東京高等師範学校を経て、1933年(昭和8年)東京文理科大学教育学科を卒業した[1]。大学在学中に主将として[1]1932年ロサンゼルスオリンピックに体操競技初の日本代表メンバーとして出場したが[2]、チームは最下位だった。1936年ベルリンオリンピックでは体操コーチを務め、その後は東京体育専門学校教授を経て、東京教育大学教授(のち副学長、名誉教授)、東京女子体育大学教授を歴任した[1]。この間、1936年4月に論文「イオン化空気浴の血糖に及ぼす影響」により、北海道帝国大学より医学博士号を取得した[3]

没後に『本間茂雄体育論集』(本間茂雄体育論集刊行会(編)、不昧堂出版、1975年)が刊行されている[4]

四男の本間二三雄も体操競技に進み、1970年、1974年の世界体操競技選手権団体総合優勝メンバーとなる[5]つり輪種目の技名「ホンマ」は、二三雄の名にに由来する[5]

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脚注

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