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李忠 (唐)
高宗の長男・皇太子 ウィキペディアから
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李 忠(り ちゅう)は、唐の高宗の長男で、最初の皇太子である。字は正本。母は劉氏。
生涯
貞観20年(646年)、陳王に封ぜられた。永徽元年(650年)、雍州牧に任ぜられた。永徽3年(652年)7月に皇太子に立てられた。顕慶元年(656年)、武則天が高宗の皇后となると、13歳で太子位を廃されて梁王に降格され、武則天の子である李弘が立太子された。李忠は梁州都督に左遷され、次いで房州刺史に左遷された。
この頃には李忠は殺害されることを恐れ、常に女装していたという。顕慶5年(660年)7月、庶民に落とされ、黔州に流されて、以前に伯父の李承乾(父高宗の兄で同じく廃太子)が幽閉された旧居に軟禁された。麟徳元年12月(665年1月)、武則天に謀反の嫌疑をかけられ、黔州で死を賜った。享年22。
脚注
伝記資料
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