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東御方

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東御方(ひがしのおんかた)は、日本の中古から中世における女性の女房名

  1. 順徳天皇宮人。父は権中納言藤原範光承久3年(1221年)順徳上皇の佐渡配流に供奉し、佐渡に渡った。善統親王彦成王を産む。寛喜元年(1229年)8月、病により帰京した[1]。生没年不詳。
  2. 正親町守子伏見天皇、のち後伏見天皇宮人権大納言正親町実明の長女。伏見天皇の後宮に入って東御方と称し、寛胤法親王道凞法親王を産む。のちに後伏見天皇の後宮に入って承胤法親王長助法親王亮性法親王璜子内親王(章徳門院)を産んだ。従三位に叙される。元亨2年(1322年)11月9日没[2]
  3. 室町幕府第3代将軍・足利義満側室。父は日野資俊[3]。経歴など詳細は不明。
  4. 室町幕府第6代将軍・足利義教側室。父は南朝長慶天皇の皇子玉川宮永享3年(1431年)11月、17歳で義教の侍女となるが、永享9年(1437年)11月に配流された。没年未詳[1]
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出典

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