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東海村立中丸小学校
茨城県東海村にある小学校 ウィキペディアから
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東海村立中丸小学校(とうかいそんりつなかまるしょうがっこう)は、茨城県那珂郡東海村村松に所在する公立の小学校。
沿革
中丸小学校は1872年(明治23年)8月、村松尋常小学校の分校として設置された[1] 。位置は村松村大字須和間字東447番地、平屋茅葺校舎18.32坪、経費300円だった[1] 。
1878年(明治29年)4月15日、須和間分教場と改称した[1] 。
1887年(明治38年)、児童数は88人(男41人・女47人)だった[1] 。
1888年(明治39年)4月15日、村松第一尋常小学校須和間分教場と改称した[1] 。同年6月、村松第二農業補習学校が付設された[1] 。
1889年(明治40年)、義務教育年限が4年から6年に延長された[1] 。
1890年(明治41年)4月21日、村松尋常高等小学校須和間分教場と改称した[1] 。
1894年(明治45年)3月、本校・村松尋常高等小学校に付設された村松農業補習学校に合併され、出張教授所となる[1] 。この農業補習学校の学則によると「農業ニ従事シ若クハ従事セントスルモノニ農業上ノ知識技能ヲ授ケルト同時ニ小学校教育ノ補習ヲ為スヲ以テ」目的とした[1] 。
1916年(大正5年)3月、字東ノ前に校舎を新築した[1] 。1反7畝26歩の校地、64・75坪の校舎、経費1,558円を要した[1] 。児童数は137人(男66人・女71人)で、5学年を収容している[1] 。
1922年(大正11年)、児童数は177人(男91人・女86人)となった[1] 。
1941年(昭和16年)4月、村松国民学校須和間分教場に改称する[1] 。
1947年(昭和22年)4月、村松小学校須和間分教場に改称する[1] 。
1949年(昭和24年)1月、独立校に昇格し、村松村立須和間小学校に改称する[1] 。
1955年(昭和30年)3月、村松村と石神村が合併し、東海村が誕生した[2]。
1970年(昭和45年)9月、校舎とプールが完成する[3]。
1971年(昭和46年)4月、東海村立中丸小学校に改称する。同年12月、校舎・屋内運動場・プール合同竣工式を開催する[4]。
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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