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東禅寺勝正
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東禅寺 勝正(とうぜんじ かつまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大宝寺氏の家臣。東禅寺義長の弟。
略歴
天正11年(1583年)、兄・義長と共に主君・大宝寺義氏を暗殺した。その後、尾浦城を兄から任されたが、天正16年(1588年)に本庄繁長率いる上杉軍と戦い(十五里ヶ原の戦い)、兄・義長討死の報を受けるや繁長の本陣に単身で奇襲をかけ、繁長に切りかかり壮絶な討死を遂げた。
享年43といわれる。
このときの佩刀、本庄正宗は本庄繁長から豊臣秀吉、島津義弘などの手を経て徳川家康に渡り、徳川家の代替わりの際に譲られる「御代々御譲」の筆頭に記載された。しかし、戦後進駐軍によって持ち去られて以降行方不明となっている。
脚注
登場作品
外部リンク
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