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松井貫一
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松井 貫一(まつい かんいち、1891年(明治24年)4月13日[1] - 1986年(昭和61年)5月2日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
1892年(明治24年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第35期卒業[1]。1936年(昭和11年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に第1師団司令部附となり[2]、東京農業大学に配属された[2]。1938年(昭和13年)3月1日に歩兵第103連隊長に就任した[3]。
1939年(昭和14年)5月19日に陸軍少将に進級し[2]、第22歩兵団長(第13軍・第22師団)に着任して日中戦争に出動[1]。杭州周辺を根拠地とし[1]、第3戦区軍を相手に浙東、皖浙作戦などに参加した[1]。1941年(昭和16年)10月に独立混成第10旅団長(第23軍)に転じ[1]、汕頭周辺の守備に任じた[1]。1943年(昭和18年)3月1日に東部軍司令部附となり[1]、4月15日に予備役に編入された[1]。
脚注
参考文献
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