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松木幹一郎

日本の官僚、実業家 (1872-1939) ウィキペディアから

松木幹一郎
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松木 幹一郎(まつき かんいちろう、1872年3月10日明治5年2月2日[1] - 1939年昭和14年)6月14日)は、明治から昭和初期にかけて活動した官僚実業家台湾電力社長[2]。族籍は愛媛県平民[1]。動物学者の青木淳一は孫。

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松木幹一郎(1930年)

人物

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台湾日月潭台電社長松木幹一郎の胸像,2010年3月台湾奇美実業の創設者許文龍重塑寄付

愛媛県周桑郡楠河村大字河原津(現在の愛媛県西条市河原津)出身。松木操平の長男[1][2]。松木家は予州の豪族河野通有の後裔である[2]旧制愛媛一中旧制三高を経て1896年東京帝国大学法科大学英法科を卒業[2]法学士の称号を得る[1]

逓信省書記官、広島郵便局長、帝国鉄道庁参事、鉄道院理事、東京市参与同電気局長を歴任[2]1918年、山下合名会社総理事となり、山下汽船、福島炭鉱各会社代表取締役、山下鉱業、浦賀船渠会社取締役に挙げられた[2]帝都復興院副総裁、東京市政調査会専務理事、台湾電力社長などを務めた[2]

栄典

脚注

参考文献

外部リンク

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