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松浦陞

明治時代から昭和時代の華族 ウィキペディアから

松浦陞
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松浦 陞(まつら すすむ、1884年明治17年)3月15日 - 1962年昭和37年)8月31日)は、明治時代から昭和時代華族。旧平戸藩松浦家第39代当主。茶人鎮信流を継承する石州流鎮信派の家元で如月と号する。

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松浦陞

松浦厚の子。夫人は徳川篤敬長女敬子[1]。敬子病没後、水無瀬忠輔の娘治子を夫人に迎える。子に松浦素松浦規松浦擇松浦敏ら。

経歴

明治32年(1899年)、学習院初等学科を卒業する。昭和9年(1934年)、父厚の死去により、家督を継ぐ。茶道の家元として若いときより精力を注ぎ、皇族にも伝授をしている。昭和30年(1955年)松浦史料博物館設立のため、明治26年(1893年)に平戸に建てられた松浦家の私邸「鶴ヶ峰邸」の建物・土地および先祖伝来の資料を寄贈した。

家族

  • 父:松浦厚
  • 母:不詳
  • 妻:敬子 - 徳川篤敬長女
  • 後妻:治子 - 水無瀬忠輔の娘
  • 子女
    • 男子:松浦素
    • 男子:松浦規
    • 男子:松浦擇
    • 男子:松浦敏

栄典

脚注

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