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板橋恵

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板橋 恵(いたばし めぐみ、現姓:今野[1]1973年6月7日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。

概要 板橋 恵 Megumi Itabashi, 基本情報 ...

来歴

宮城県黒川郡大和町出身。小学校3年生からバレーボールを始める。古川商業高校1年生からセッターに転向。2年生時にインターハイ優勝。東北福祉大学では1年生時にインカレ準優勝を経験した。

1996年日立佐和リヴァーレに入団。1998年全日本代表チームに初選出。1999年ワールドカップでは正セッターを務め、同大会で6位となった。2002年に一度現役を引退するが、2003年に現役復帰し、第11回Vリーグでサーブ賞を受賞、第55回黒鷲旗大会で準優勝へ導く。

2005年、5年ぶりとなる全日本復帰を果たした。同年のワールドグランプリワールドグランドチャンピオンズカップに出場した。2007年のアジア選手権で24年ぶりの優勝を経験した。

2009年5月、日立佐和リヴァーレを退団し、同年9月パイオニアレッドウィングスに移籍した。

2010/11シーズン、Vリーグ通算230試合出場を達成し、Vリーグ栄誉賞を受賞した。Vリーグ女子の大卒選手では初の受賞となる快挙であった[2]

2011年6月にパイオニアを退部し、同年11月に仙台ベルフィーユにコーチ兼選手として移籍した[3]。同月、体調不良で総監督に退いた米田一典にかわり、選手兼任で監督に就任した[4]

2012年4月、仙台ベルフィーユ監督を退任し、同チームを退団[5]。その後、結婚し、2人の娘がいる[1][6]

2024年、リガーレ仙台のチームアドバイザーに就任した[7]

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エピソード

東北福祉大学時代は主将としてチームを牽引した。或る日、監督の佐藤伊知子から「あなたは正セッターには使わない」と言われ、練習でも士気を失いかけたことがある。それを選手や監督から見透かされ「第2セッターに甘んじるのではなく、あくまでも自分が正セッターを取るぐらいの士気で臨まなければ、チームは進歩しない」と悟り、以後猛練習に励むようになり、監督からも全幅の信頼を得て正セッターの座を奪還した。

所属チーム

球歴

受賞歴

脚注

外部リンク

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