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林家菊丸
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初代
初代林家正三の門下。天保14年(1843年)の見立番付には既に名が見られ、嘉永6年(1853年)および安政ころの番付では東方前頭筆頭となっており、幕末の林家一門における中心人物であったと推測される。
2世曽呂利新左衛門は猫丸時代にこの菊丸の物まねで人気を取っていたのをそれを聞いて面白がり呼び寄せて共演をした。
2代目
2代目 林家菊丸(生没年未詳)は、本名、享年とも不詳。
初代菊丸の門下で、その実子。初代小菊丸を経て、明治4年ころに2代目菊丸を襲名。なお『落語系圖』には、3代目林家正三の門下にも名が記され、「滑稽に長ず」とある。あるいは初代菊丸の死後、3代目正三の門下に移ったのかもしれない。なお、弟は菊造、2代目小菊丸を経て、林家花丸を名乗る。
落語相撲(二人の落語家に噺をさせ、その間違いや欠点を客に意見させて勝負を競う余興)の行司、落語裁判の弁護士が非常に巧かったと伝える。晩年には盲目となる。1901年前後に没したとされる。
多くの新作も物にし、現在もしばしば演じられる『猿廻し(堀川)』『不動坊』『後家馬子』『吉野狐』などは、この2代目菊丸の作と言われる。いずれも当時の裏長屋の生活と、そこに暮らす人々の哀歓を巧みに描いた異色作である。
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3代目
3代目 林家菊丸
→詳細は「林家菊丸 (3代目)」を参照
2014年9月27日より4代目林家染丸門下の林家染弥がほぼ115年ぶりに名跡を襲名し、現在は3代目を名乗っている[1]。
出典
脚注
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