トップQs
タイムライン
チャット
視点

柳亭燕路 (5代目)

日本の落語家 ウィキペディアから

Remove ads

5代目 柳亭 燕路(りゅうてい えんじ、1885年明治18年)12月28日 - 1950年昭和25年)6月25日[1])は、明治から昭和にかけての落語家。本名・武田新之助[1][2]

概要 本名, 生年月日 ...

経歴

はじめは竹本玉太夫という名の義太夫語りであった[1]

2代目三遊亭圓遊に入門して「新遊」を名乗る[1]。その後、三遊亭圓輔を経て三遊亭若圓遊となる[1]

1918年大正7年)、4代目春風亭柳枝の門下に移り、4代目春風亭柳條を名乗る[1]

一時期、春風亭晴志に改名[注釈 1]したが、その後再び柳條となる[1]

1943年5代目柳亭燕路を襲名した[1]

1950年 に死去。享年66(満64歳没)。

芸風・人物

新作落語の創作に長け、『抜け裏』や『長屋の算術』などを手がけた[1]。また『お見立て』や『代脈』を当時の世相に合わせて改作する(前者は遊女をカフェーの女性店員に、後者は駕籠人力車に置き換えた)こともおこない、6代目柳亭燕路は『古今東西落語家事典』の中で「今となってはまったくのアンバランスで妙な感じがするものの、改作当時は、まだそれらを納得することができる時代であったのかもしれない」と評している[1]

浪曲の台本も手がけ、浪曲師の歌と自分の台詞を組合わせたレコードも残している[1]

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads