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春風亭柳枝 (4代目)
日本の落語家 (1868-1927) ウィキペディアから
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初代 春風亭 華柳(しゅんぷうてい かりゅう)・四代目 春風亭 柳枝(しゅんぷうてい りゅうし)1868年9月(慶応4年 - 明治元年)9月 - 1927年(昭和2年)4月20日は、和歌山県の落語家。本名:飯森 和平。通称は住所から「牛込の柳枝」。また、俗に小ぢんまりとした顔つきから「鼠の殿様」。
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来歴
江戸下谷の出身。父は元富山藩士で明治維新後、和歌、挿花、茶道の指南をしていた。商人になるために11歳のときに奉公に出るが元来落語好きで奉公先が長続きしない、18歳の時に挙句には親に内緒で初代松柳亭鶴枝の門で鶴吉となる、1885年ころに3代目柳枝の門では10年間修行を我慢するのならということで門下になり2代目春風亭枝雀を名乗る、1889年4月から翌年まで都川扇之助と名乗る、1890年9月枝雀に復し1894年4月再びの鶴枝の門に戻り二つ目でさん枝、同年12月に4代目春風亭柏枝、1896年9月に真打昇進し初代小柳枝を名乗った。
1900年11月に同じ柳派の初代談洲楼燕枝の一周忌に弟子の小燕枝が「小」を取り2代目談洲楼燕枝したのに触発され自身も「小」を取り4代目柳枝を襲名した。
1917年8月、東京寄席演芸株式会社に対抗して落語睦会(三遊柳連睦会)を結成。会長に就任。
1921年3月、睦会「三柳の改名」 師弟トリプル襲名
- 師匠 初代春風亭華柳(当人)←4代目春風亭柳枝
- 兄弟子 6代目春風亭柳枝(ゴミ六)←3代目春風亭小柳枝
- 弟弟子 4代目春風亭小柳枝←7代目春風亭柏枝(のちの6代目春風亭柳橋)
- (注:このとき、春風亭柳枝の5代目をあえて欠番とした)
1927年4月2日、NHKのラジオ放送で口演中に脳卒中で倒れる[1][2][注釈 1]。そのまま放送局内の休憩室で治療が行われたが、20日になって危篤状態に陥り同日死去[注釈 2]。満59歳没。
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一門弟子
- 六代目春風亭柳枝
- 五代目柳亭燕路
- 春風亭柳窓
- 春風やなぎ
- 八代目朝寝坊むらく
- 六代目春風亭柳橋
- 二代目古今亭雷門
- 雀家翫之助
- 春風亭柳語楼
- 八代目春風亭柳枝
- 七代目春風亭枝雀
- 春風亭柳丸(佐藤忠治)
- 四代目都家歌六
- 春風亭小柳三
- 二代目春風亭年枝
- 春風亭華扇(岡田徳三、8代目土橋亭里う馬の弟)
- 睦の三郎(色物・逆立ち獅子舞の春風胡蝶斎の実子)
- 九代目司馬龍生
他多数
脚注
出典
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