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柳斎周秀
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来歴
豊原国周の門人。姓名不詳、江戸の生れで柳斎周秀と号している。慶応(1865年‐1868年)から明治初期に活躍しており、主として役者絵を描いているが作品は少ない。慶応3年(1867年)の大錦3枚続「降御影街賑」に、同門であった楊洲周延とともに国周の補筆をしている。
作品
- 「梶原源太・梅ヶ枝」 大判2枚続 錦絵 石川県立美術館所蔵
参考文献
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