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柴田勝治 (建築技術者)

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柴田 勝治(しばた かつよし、1859年 - 没年不明)は、明治時代の日本建築技術者。建築設計者。

略歴

明治宮殿造営組織における図工の採用状況と堂宮大工の参加経緯(小沢朝江「相模国大山大工・手中家の日記から」(日本近代:作家論(3),建築歴史・意匠,2012年度大会(東海)学術講演会・建築デザイン発表会)『学術講演梗概集 2012(建築歴史・意匠)』日本建築学会、2012年9月、pp.143-144,)によると当初は製図工であったが,のちに臨時建築局雇・内務技手。1887年(明治20年)に臨時建築局雇となる。その後、同局技手見習。

その後、内務省技手見習として海軍省庁舎海軍大臣官舎、仮議院の工事に参加[1]。 のち宮内省内匠寮技手となり、1885年(明治18年)、皇居御造営事務局雇となる。 1892年(明治25年)宮内省内匠寮技手となり、監査課勤務となった。 また1895年(明治28年)竣工の京都帝室博物館の工事を担当した[2]

脚注

参考文献

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