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柴田家住宅 (清須市)
日本の愛知県清須市にある建築物 ウィキペディアから
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柴田家住宅(しばたけじゅうたく)は、愛知県清須市西枇杷島町辰新田65にある町屋。主屋が国の登録有形文化財。庄内川の自然堤防を通る美濃路に面している[1]。
歴史
美濃路と柴田家の歴史
慶長年間(1596年-1615年)に行われた清洲越し後、庄内川の右岸にある下小田井に常設市が開設され、江戸の神田、大坂の天満と並ぶ日本三大青物市場として発展すると、美濃路沿いに商店街が形成された。江戸時代末期頃、柴田家は美濃路沿いに和菓子屋(飴屋)を構えた[3]。
竣工とその後
1891年(明治24年)10月28日に発生した濃尾地震において、美濃路沿いの建物はほとんど倒壊するか焼失したとされる。柴田家の主屋が建てられたのは1896年(明治29年)であり[3]、漆喰壁や土壁などの防火対策が施されている[1]。かつて柴田家は飴や菓子の製造・販売を行っていた[1]。
後継者が途絶えたことで、1939年(昭和14年)には柴田家が和菓子屋を廃業した。戦後には下小田井の市から発展した枇杷島市場が名古屋市に移転し、モータリゼーションに対応できなかった西枇杷島町周辺は衰退した[1][3]。その後、住宅は保険会社などに賃貸されていた[1]。
保存と活用
当主は退職を機に建物の修復に着手し、何度も建築士と意見交換を重ねた[1]。2006年(平成18年)8月3日に主屋が国の登録有形文化財に登録されると[2]、2008年(平成20年)には林廣伸建築事務所の設計、魚津社寺工務店の施工による半解体改修工事が完了した[1]。現存する外観の出格子はこの改修時のものである[1]。
2014年(平成26年)10月には、愛知登文会によって登録有形文化財の特別公開(後の「あいたて博」)が初めて行われたが、この際には柴田家住宅も特別公開を実施した[4]。それ以後も「あいたて博」の際に毎年1回特別公開されている[3]。
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建築
土間には線路の敷石を転用している[1]。大黒柱と正面下屋の軒桁間に大梁を通し、隅柱間の上屋受桁を大梁に架けて通す架構となっている[5]。土間は菓子類の製造・販売を行っていた当時、広い空間を確保するために中央の柱を抜いた設計になっており、その替わりに十字に梁をかけて荷重を支える構造となっている[1]。改修を担当した林廣伸は柴田家住宅を「尾張型町屋」と呼称し、文化年間(1804年-1818年)に竣工した小牧市の岸田家に萌芽がみられるとしている[5]。
江戸期以降には尾張国に茶の湯文化が定着し、西枇杷島町一帯の町家では日常的に抹茶をふるまう文化が育まれた[1]。主屋のツシ2階に茶室が設けられているほか[6]、近年には内庭にも茶室が設けられた。
ギャラリー
脚注
参考文献
外部リンク
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