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栗田国彦
昭和時代日本の作曲家、教育者 ウィキペディアから
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栗田 国彦(くりた くにひこ、1904年3月25日[3] - 1981年)は昭和時代日本の作曲家、教育者。静岡大学教育学部教授[3]。
来歴
1904年(明治37年)、静岡県磐田郡山香村(現在の浜松市天竜区)に生まれる[1]。静岡師範学校を経て東京音楽学校第四臨時教員養成所で沢崎定之、下総皖一、貫名美名彦らの師事を仰ぐ[2][3][4]。愛知県の知多郡立高等女学校教諭を経て愛媛師範学校教諭となり、1938年(昭和13年)11月に愛媛県庁が提唱した「国民精神作興週間」の一環として初代「愛媛県民歌」を作曲する[5]。1944年(昭和19年)、静岡第一師範学校教諭兼教授。1949年(昭和24年)の新制静岡大学発足に伴い助教授となり、附属幼稚園長を経て1960年(昭和35年)より教授に至る[3]。
1981年(昭和56年)没。享年77。
作品
校歌・園歌
参考文献
- 『東京音楽学校・第四臨時教員養成所一覧』昭和4至5年(東京音楽学校、1929年) NCID BA66738189
- 音楽之友社 編『音楽年鑑』昭和39年版(音楽之友社、1964年) NCID BN0029282X
- 東京探偵社 編『東京紳士録』昭和44年版(東京探偵社、1968年) 全国書誌番号:72011135
- 佐久間町役場 編『佐久間町史』下巻(1982年) NCID BN03624529
出典
関連項目
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