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桂圓枝 (3代目)

日本の落語家 (1931-2011) ウィキペディアから

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三代目 桂 圓枝(かつら えんし、1931年12月21日 - 2011年2月16日)は、落語家落語芸術協会に所属していた。出囃子は『デカンショ節』。本名∶香川 伸雄

概要 本名, 生年月日 ...
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来歴・人物

香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校卒業。

政治家と親交があり、大平正芳とは同郷であった。もともと学校時代から演劇が好きで、当時なかった演劇部の設置に大運動を行い、もっぱら三枚目の役柄を演じた[1]

1950年(昭和25年)観音寺第一高校卒業後、高松地方検察庁観音寺支部に1年余り勤務していたが、たまたま堺市で商売を営む実兄を訪ねて、初めて落語に連れて行ってもらった[1]。その時の出し物が三遊亭圓生の“子かすがい”で、その芸術性に惹かれて一家親族に反対されるが、1952年(昭和27年)5月、3代目桂三木助に入門[2]

かつら 三多蔵みたぞうで初高座。落語の世界だけでなく芸能界というところは、修業の厳しさを覚悟して入ったが、そんなに苦しかったこともなかった。それでも内弟子の時は雑巾がけ、前座の時は太鼓を叩くのが役目で、間違うとバチで頭を叩かれた[1]

1954年(昭和29年)9月、2代目桂枝太郎一門に移る。枝三しさまつに改名。1955年(昭和30年)4月、二ツ目に昇進、桂好太郎と改名。覚えた演題は七十を数え、なかでも色物が得意であった。目つき、仕草など女の情感を出すのが旨く“おかまの好太郎”の異名がある[2]。二ツ目時代春風亭柏枝三遊亭金遊と共に池袋三羽烏と言われた。

1969年(昭和44年)4月17日、3代目橘ノ圓2代目春風亭梅橋とともに真打昇進。3代目桂圓枝を襲名[2]。四国出身者で初の真打となる。主に新作落語を演じた。

2011年(平成23年)2月16日、腹膜炎のため東京都文京区の病院で死去。79歳没。

妻とその姉[3][4]とで、上野桜木町で甘味と定食の店「桜や」を経営していた[4]

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弟子

脚注

参考文献

外部リンク

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